2004-02-01から1ヶ月間の記事一覧

オウム

今は廃刊した雑誌『03』1991年6月号(新潮社)に掲載された「麻原彰晃 vs. 荒俣宏 サイキック対談 人はなぜ現世を超えるのか」より。 その前書きとして荒俣宏の書いた文章は「麻原彰晃はきわめてオーソドックスな20世紀チベット仏教派の新宗教の教祖…

なぜ大学で勉強するのか

朝日の夕刊(大阪版)03年12月12日に載ってた「みうらじゅんのお悩み祭り」から。 こんなお悩み相談でした。 私は大学生なのですが、あまりにも大学の課題が面白くなく、何の役に立つのか疑問に思えてしまい、全く課題が進みません。 そうだよねー。 って、…

可能世界

『文藝』1994年冬季号の「可能世界についての四つの可能な質問」より。 質問作成は三浦俊彦氏。 4つの質問というのは、おおざっぱに書くと 宇宙が始まり、生命が生まれ、意識が生まれる。この確率はほとんどゼロに近いといわれるが、現に生命、意識は存…

調査報告書を書かねばならぬ

インターネット利用に関する全国調査の報告書を。 〆切は来週(泣)。 臨戦態勢にはいるため、まずQUEENをかけて雰囲気づくり(笑)。 あ、いかん、BGMにならずに、ふつうに聴いてしまっている... 出だしで躓いたので、次に、とっちらかった部屋の整…

心理学化する社会

の著者でもある斎藤環さんが『中央公論』3月号に「「有害なわいせつ性」という社会通念こそ有害である」という文章を寄せている(『心理学化する社会』と直接関係する話ではありませんが)。 例のマンガ『蜜室』のわいせつ性を問うた裁判の判決に関するコメ…

暴行罪

こないだテレビをみていて「へー」と思ったネタ(『トリビア』ではないが)。 母親が子どもの寝ているふとんを「あんた、いつまで寝てんの、遅刻するよ!」と剥ぎ取ったとする。 子どもが「寒いよ」と抗議したとする。 この母親は罪に問われうるか? 答えは…

浪花節的非分節性

浪花節では「歌う」ことは厳しく禁じられる。「節を語る」。節=メロディは歌われるのではなく語られるのだ。つーか「歌」と「語り」の二項対立でしか「声の実践」が分節できない視点というのは,どうしようもなく西洋近代的な認識枠組ではなかっただろうか…

浪花節だよ

人生は。 増田さんの日記(2月24日)が興味深かったので、その雑感。 正面からではなく、ちょっとずれてるコメントですが。

動物的イメージ消費?

もうひとつ、北田さんの鑑賞記で気になったのは「アートで落すのはいかがかな?とは思ったけれども」というところ。 単なる連想にすぎないのだけども、「マスコミ制作実習」という授業で学生の作ったあるビデオ作品のことを思い出した。 それは、ある学生の…

『ニュータウン物語』

北田さんはもう観たようで、うらやましい。 朝日か日経の文化欄でもこないだとりあげられてたが、大阪でも瞬間的に上映されるようなので、見逃さないようにせねば。 なんせ私も物心ついてから大学入るまで、ずっと「ニュータウン」で暮らしていたもので、団…

『新版 社会学がわかる』

朝日新聞社、2004年 生協にファイルを買いに行ったついでにゲット。 「数理社会学」の項を書いた盛山和夫さんの「忘れがたき人」がカール・ポパーで、「メディアの社会学」を書いた北田さんがドナルド・デイヴィドソン。 別におかしくもないけれど、その外し…

美しい「花」がある

「花」の美しさというような様なものはない 朝日の土曜版に載っていた小林秀雄のことば。 サブリミナルも要はそういうことだ。 無意識な認知がある。 認知する無意識という様なものはない。 あんまりこんなことばかり書いてると、坂口安吾流に「ことば遊びに…

サブリミナル、補足

一般的通念として流通している「サブリミナル」と、科学的(心理学的)概念としての「サブリミナル」には、少なからずギャップがあるように思う。 サブリミナル(効果)が社会的に問題にされた場合、やっかいなのはそのギャップがそれと気づかれにくいことだ…

ワレ、発見サレリ

どうも私の勤務先の大学の学生さんらしき人に、ここを見つかってしまったようで。 教育的配慮からせっかくこっそり書いていたのに(どこかだ)。 あまり下手なことは書かないようにしよう。 別に下手なことを書いていたわけでもないけど。

サブリミナルのどこが悪い?

日テレが「マネーの虎」のオープニング映像で1万円札のカットを0.2秒(1秒30フレ中の6フレ)挿入していた、という報道が昨日あった。 以前ほど「サブリミナルだ、サブリミナルだ、うあああ」というお祭り騒ぎにはならなかったようだ。 もう聞き慣れて飽きた…

ことばのひとり歩き

昼から会議。 会議とは踊るものだ、くるくるくるくると。 しきりが悪いほど、くるくるくるくると。 直線的に前に進めんものか。 よくある大阪−東京比較の会議編で、東京人はとにかくとっとと前へ話を進めたがる、大阪人は世間話に流れてなかなか前に進まない…

なぜ卒業論文を書くのか

edu

辻ゼミとしては卒業論文集をまとめるのはこれが初めてである。そこで、今後これを読む後輩ゼミ生たちのために、なぜ卒論を書くのか、卒論に何の「意味」があるのかを説明しておきたい。すでにこうして卒論を書き終えた3期生のなかにも、とにかく書かなくて…

まだ小休止中

学年末試験の採点が終わったので、今朝からは19本の卒論へのコメントを書いている。 採点は済んでるのだが、ゼミの卒論集をまとめてぼちぼち印刷所にまわさなくてはならないので、それに掲載するコメントだ。 ひと言ずつ(250字くらい)のコメントとは…

試験の答案とメディアリテラシー

むやみに疲れた... 学年末試験の答案350人分をやっと採点し終わった。 〆切を1週間ほど遅れて、事務職員さんには迷惑をかけた。 まことにスンマセン。 でも、この人数分を、入試期間をはさんで2週間弱で採点せいっつうのは、ちょっとキツイのですよ。 …

『若者はなぜ怒らなくなったのか』

荷宮和子著、中公新書ラクレ、2003年昼飯どきに読んでみた。 専門書だと消化悪くなりそうなんで、軽く読めそうなやつを選んだのだが、はたして消化によかったかどうか。 団塊世代と団塊ジュニア世代のあいだの狭間世代の63年生まれの著者が、団塊世代と団…

広告批評の倫理をめぐって

一年ちょっと前、わたしは自分のHPに、北田暁大さんの『広告都市・東京』について小さな書評を載せた。 それに対して、北田さんは『d/sign』誌4号(2003)で、きちんとリプライしてくれた(「広告批評の法外な倫理」:以下の引用はここから)。 それに対…

とっとと次の一歩へ

になるかどうかは微妙だが、応答を返しておかねば、とずっと思っていた一篇があるので、それに対するリプライを。

最後のいいわけ

8日に書いた「権力作用のなかで権力作用を「語る」ことのむずかしさ」について、ちょっといいわけを補足。 読み返してみたら、そのむずかしさが付随的(非本質的)なものに思える書きかたをしていたので(これだと「よ〜く気をつけて語りましょうね」ってこ…

ゼミ合宿終了

day

昨日9人、今日の午前中に6人のゼミ論報告を聴き、ディスカッション。 今年はレベル高し。下手な学会報告より、よほどおもしろかった。ゼミのプログラムを練り直した甲斐があったというもの(とはいえ、プログラムどおりには全然いかなかったが)。 研究テ…

本日ハ晴天ナリ

なのに、研究室こもって何してるんだか。 しかし、さる学会関係のしごとを片づけるため、もう少しこもっておらねばならぬ。

本日の妄想

メールやチャット,掲示板などのCMCで使われる「絵文字」について. いまだインターネット普及せざりしころ,私はパソコン通信ユーザだったが,その電子会議室で使われていたのは「(^_^;)」というようなやつだった. 今も一般によく目にする絵文字だが,…

ふれられたくない過去

に,さるところ(id:gyodaikt:20040206)でふれられてしまったので,その言い訳(またかよ). そう,私には,CSの大御所グロスバーグの論文を訳した過去があるのです. むかし助手として勤務していた研究所が,彼をまねいてシンポをしたときの講演予稿な…

入試監督終了

とりあえずね.明日は3年生のゼミ合宿.20人分のゼミ論に私がケチをつけまくるという会合.音声を発することを禁じられた入試監督での抑圧が噴き出さなければいいのだが.

「実感」の錯覚

社会調査データの「見切り」かた、なんてゆう話を先日したが、もちろん社会調査は数量的(定量的)なアンケート調査に限られるわけではない。 インタビュー調査とかフィールドワークとか、他にもいろいろあるわけで。 これらの調査法のありがちな2分法とし…

入試監督は中休み

というわけで髪を切ってきた。なんせ、髪ぼーぼーのハリネズミ状態だったから。 ハリネズミといえば。 1年前ロンドン郊外で暮らしていたとき、庭先にリスが来るのはあたりまえだったが、玄関先にハリネズミ(hedgehog)がうずくまってるのを見たときはさすが…