広告批評の倫理をめぐって

一年ちょっと前、わたしは自分のHPに、北田暁大さんの『広告都市・東京』について小さな書評を載せた。
それに対して、北田さんは『d/sign』誌4号(2003)で、きちんとリプライしてくれた(「広告批評の法外な倫理」:以下の引用はここから)。
それに対する私からのさらなるリプライを試みたい。
といっても、今となっては、北田さんのリプライにほとんど異議はないのだが。


私の書評の要点は「法外な倫理」の冒頭で、次のように簡潔にまとめられている。

私がささやかな反発を覚えた批判とはだいたい次のようなものだ。《著者は広告をあまりに理論的に語ろうとしすぎており、広告固有のダイナミックな本質に迫れていない。自らの文章もまた、特定の企業・学派の広告として機能してしまうという事実に無頓着なのではないか》。

「特定の企業・学派の広告」として、というよりは、何というか、うまく言い表せないのだが、「広告の広告」として、というか、「広告の〈共犯者〉」として、というか、何かそういうことが本意としては言いたかったのだが、この点はあらためて後述。

論理的には、こうした話はよく分かる。しかし、何か釈然としないのも事実だ。横光利一に向けられた平林初之輔の批判を、ついつい引用したくもなってくる。「氏はいつかこの混沌的表現を合理化していたが、それは筋がとおらない。現代の社会が騒音であるからその表現もまた騒音的であるべきだという論拠だったと記憶するが、騒音の騒音たることは、はっきり描写しなければならぬ。……馬鹿を最もよく表現し得るものは馬鹿ではなくて、却って最もすぐれた天才でなければならぬ」(「文壇の現状を論ず」)。

北田さんは、しかし「「馬鹿をよく表現するには馬鹿にならなくてはならない」と強く思う瞬間もたしかにある」としつつ、次のようにつづける。

広告の本質的な「騒音」性はけっして見逃されてはならない、そのことを私は否定しない。しかしどうだろう。だからといって、《広告を語ること》の倫理は、自らもまた広告的たることを要請する、とまでいえるだろうか。
常識的に考えるなら、そんなわけはない。経済学の文献はそれ自体経済合理性にかなっている必要はないし、音楽批評も聴覚的媒体によって提示される必要はない。だが、「広告を語る言説はそれ自身広告的でなければならない」という逆立した倫理はどういうわけか、私たちの社会において奇妙に信憑されているように思う。それはおそらくは、資本の論理との露骨な結びつきゆえ、大文字の批評の対象となることが禁じられてきた準‐表象の抱え込んだ歴史的本質に由来している。

まったく異議なしです。

かつてある「批評家」が、「天野祐吉の凄さはその批評の凄さというよりは、批評の対象として広告を発見したことにある」といったようなことを言っていた。しかし、天野――というか八〇年代日本の言説風土――の本当の凄さは、「広告を語る言語はつねに広告的でなければならない」という法外な道徳律を見事なまでに土着化させたことにあるのではないか。現代においてもっとも鋭利な批評言語を持つ佐藤雅彦が、この格率を身体的に徹底させていることは言うまでもない。

これも異議なし。八〇年代の言説風土の凄さは、件のような法外な道徳律を土着化させたことにある、というのは鋭い指摘だと思う。八〇年代(の言説風土)にどっぷり浸かって10代後半〜20代前半をすごした私なぞは、わが内に身体化された「八〇年代」に無自覚であったことに、この一文(を含む北田さん+71年組の瓜生吉則さん増田聡さんの諸論考)を通じて、ようやく最近になって気づかされた情けない次第。
話は少しそれますが、広告の香具師性(「動物」性といってもいいかも)を一方で無意識の裡に体現しているのは、佐藤(雅彦)・大貫(卓也)より一世代下の、佐藤可士和多田琢あたりではないかと思う。佐藤・大貫が香具師性に洗練した表現を与えたのだとすれば、佐藤・多田は香具師性をむきだしのまま精錬しているような感じがする。

「批評の不在」を制度化する自己準拠的な言説空間の構築――私にあの小さな反発を感じさせたのは、つまるところ、この言説の布置そのものだったのかもしれない。
あるいは、私も容赦のない定言命法に従い、このエッセイが自著の広告であることを自覚しつつ、最後に「(広告のページ)」とでも書き込んでおくべきだろうか。公式通りに添えられた「これはパイプではない」――それほど反広告的な話法もないように思うのだが。

北田さんがこう書いてくれたおかげで、私はもうじき公刊する論文で、公式通りに「これはパイプではない」を添えておくことにすることができました。ずいぶん悩んだけど、大学生のテキスト用の論文集だし、「公式」を知らざる学生さんには「公式」のマスター(啓蒙)も必要だろうかとも思い、「法外な倫理」へのリファーを加えておけば保険はかかるかな、なぞと姑息なことを考えたのでした(笑)。


このように、今となっては、北田さんのリプライに対して、私が異議をもってリプライできることはほとんどない。
「今となっては」というのは、『責任と正義』が公刊されたことで、北田さんの拠って立つ、ここの(5)で書かれているような立場・「話法」が明示された「今となっては」ということですが。
私が気になっていたのは(書評を書いた時点では、さほど自分でも明確化できていなかったのだけれども)、(社会)学者が語るという語り口=「話法」が、資本の権力作用の「外部」=「中立」「中性」的立場に端的に位置しうる、位置してそれを語りうるかのような錯覚を、遂行的(パフォーマティヴ)に促してしまうのではないかということだった。
それは、学的話法をとる言説が「特定の企業・学派の広告」として機能してしまうということとは、さしあたり別の問題だ。
むしろ、ホストやホステスの甘いささやきにも似た「誘惑」の話法に抗するのに、学者的な「啓蒙」の話法がどこまで通用しうるのか、という問題であり、「啓蒙」が「誘惑」を対象化することで(啓蒙/誘惑という二項対立のもと)「誘惑」を「誘惑」として共犯的に機能させてしまうのではないか、という問題である(あー、それもちょっとちがう、はがゆい、うまく表せない)。


だからといって、もちろん、広告の批評言語が「誘惑」の「文体」をとればよいということではない。
天野祐吉の「広告批評」は批評たりえていない。
私は「批評」とはその言説のおかれる「磁場」のもとで、その「磁場」の特異性をどこかで見据えながら言説に関説するものだと思う。
彼の「批評」は、ホストやホステスの甘いささやきを、恋人たち(ってのも使うのが気恥ずかしい死語だが)の甘い語らいと同等視してみせるものにすぎない。だって、いいじゃん、語り口(文体)は実際は似たようなもんだし、ホストやホステスのほうが凡百の恋人たちよりずっと甘い語り文句をつむぎだしてるぜ、おもしろいからそれ見てみようよ、ってな感じ。
そういう文体分析的な「批評」は、それはそれでかまわない。恋人たちだって、多かれ少なかれ「演技」してるんだしね。確かに、ホストやホステスのいるクラブでなされるやりとりと、その点では大差ないかもしれない。
資本(主義)の「ホストクラブ」と揶揄されてきた広告クリエイティブ界の住人たちにとっては、「みんなー、そんなに見下すなよ」と言ってもらえるのはうれしいことでもある。
私もかつてはその世界でしごとをしていたから、そのうれしさについては共有するところもある。
でもね、やっぱり気持ちワルイんだな。広告の作り手は、その香具師性をいやでも思い知らざるをえないところがあるから、「香具師じゃないよ、ゲージュツカだよ」と言われると(たとえカタカナ化してゲージュツカと言ってもらったとしても)、どうも気持ちワルイのだ。
おまえ、広告のこと、何もわかってないじゃん。お気楽でいいよなー、「批評」家って。
これが、80年代末から90年代はじめにかけて私が広告のしごとをしていたころの、われわれ広告の作り手の(特に若手の)いつわらざる天野祐吉評。


「ホストやホステスの甘いささやき」をナイーブに断罪するつもりは毛頭ないし、「甘いささやき」を考えることでお給料をもらっていた私にその資格もない。
(資本の)ホストやホステスとおしゃべりするのは、楽しいし、何かしらの夢をあたえてくれるようなものだろうし、だからこそ「需要」もあるわけだし、それ自体はよしとしたい。
だけど、ホストクラブ、ホステスクラブに一日中入り浸りはまずいでしょ、と個人的には思うのだ(でもって、入り浸りはまずいでしょというようなバランス感覚がますます薄くなりつつあるような気がするのだ)。
いや、現実を見つめなければとかいうお説教というのではなく、それってホントに楽しいか、と思うのだ。
他の人がどう思うかは知らない。一日中入り浸っていられりゃ、そんな楽しいことはないだろう、と思う人もいるかもしれない。
でも、私はイヤなのだ。そんな終わりなき非日常=日常は。楽しい以上にツラそうだから。
そんななかで私は暮らしたくない。
そういうきわめて個人的な動機によって、私は何とか広告や消費社会を批評できる「話法」の位置する余地を残したいと思っている。


んー、なんかまた話がそれたなあ。
私が北田さんの『広告都市』について感じたひっかかりは、浅田彰氏が東浩紀氏の『デリダ試論』をめぐって、さんざ拘泥した問いかけと同根のものであるのかもしれない(というとエラソーでかなり気が引けるが)。

第二期のデリダはなぜこういう奇妙なテクストを書いたのかという問いから出発して、さまざまな角度から議論が展開され、いろいろと解答らしきものが与えられる。しかし、じゃあ、その奇妙なテクストはほんとうにうまく機能したのか、また第三期になってなぜデリダはそういう奇妙なテクストをあまり書かなくなってしまったのか、そもそも東さん自身がなぜそういう奇妙なテクストを書かずに、できるかぎり明快に書こうとしているのか、というもっとも重要な問題群への答えが、最後までよくわからないわけですよ

(「トランスクリティークと(しての)脱構築」『批評空間』2-18、1998年、p14)



ポスト‐ニューアカ、ポスト‐バブル世代の論者が「「あえて」の決断を明示的に語るのはカッコ悪いから、止める」と割り切ってしまえることへの(80年代?を身体化してしまった者の側からみた)嫉妬まじりの羨望と、それでもなお「それは危ういのでは」と思ってしまう老婆心。
でも、我が身をふりかえってみると、論文ではかなりベタベタな物言いで広告について語ってきたのだが(北田さんのような(5)の水準でなく(1)の水準で)。
動物化するポストモダン」のなかで(5)の水準の「話法」をとることが適当かどうなのかは、私はまだ考えあぐねている。
でも、「あえて」の話法が、もっぱら単なるアリバイ=いいわけとして受容され形骸化していった過程をみると、(0)=ただのベタに転化して受け取られてしまうだろう(5)のほうが、確かにまだしも清々しいかもしれない。


こういう言説のマーケティング「戦略」に拘泥してしまうこと自体が「語るに落ちる」にほかなるまいが。
80年代/90年代(以降)という世代論的な線引きをあまりしたいとは思わないが、80年代末から90年代初めというのは、広告業界ではクリエイティブ表現よりマーケティング戦略の時代であった。
その残滓が私のなかにも根強くあるのかも。
やだねー、「80年代の亡霊」(byナンシー関)をみているようで。
それにしても、エイティーズ・ブームってやつは何とかしてもらえんもんか。
今月号のSTUDIO VOICEをみてても(資料として研究費で買いましたけど)、身を切られるようで(笑)、痛々しくてしょうがない。
高校生のときに『構造と力』や『相対幻論』をわけもわからずに読み、大学生でDCブランドに染まり、就職してコピーライターという、人にふれられたくない「80年代」的過去のある身としては、脛にもつ傷がさらされているようで、恥ずかしすぎる、ツラすぎる。

この濃度×この威力=“雑誌は時代の鏡なり”、映し出された背景を読み解きつ、翻って現在。目をさませ、#●※@! ――これはテストではない。感じ、面白がり、そして生み出す力を取り戻すための、雑誌“文化”伝説'70〜'85なのだ。

かんべんしてくれ、オレが悪かった、正直スマンカッタ、お願いだからもうこれくらいにしといてくれー(号泣


結局のところ、今日も「とっとと次の一歩へ」は踏み出せずじまい。
マスダさんが「わたしは資本が好きです、きみがほしい」とひと言で片づけてるところで、何をうだうだ言ってるのか。
ったく要領悪い。
沈黙のかたちを練り上げるために百万言費やそうとしたいのだが、やっぱり全然首尾よくいかない。
沈黙そのものを言語化しようとしちゃってるし。
とほほほ、まるでダメじゃん。
とっとと次に行けよ、次に!