2014年解釈改憲問題と1960年安保改定問題

安倍内閣の解釈改憲について喧しく議論され、賛否が問われているが、私自身の賛否はひとまず措くとして、ややもすると本来区別すべき2つの問題がごっちゃにされるきらいがあるように思う。 憲法の“内容”をどうすべきかという問題と、憲法改定の“手続き”はど…

『ケータイの2000年代』刊行されました

ケータイの2000年代: 成熟するモバイル社会作者: 松田美佐,辻泉,土橋臣吾出版社/メーカー: 東京大学出版会発売日: 2014/01/10メディア: 単行本この商品を含むブログ (4件) を見る2001年と2011年に実施した全国調査の分析をもとにした論集です。 私は第3章「…

『俺俺』の“俺”の問うもの

『俺俺』では、2通りの“俺”(もしくは“私”)が問われる。 1つは、「俺は男であり、日本人であり、人見知りであり、……」という属性の束として規定されるような“俺”である。他者が私と彼(ら)を見分け、私を私(たとえば辻大介と名指される人物)として認識…

2年前にGCOEの「コンフリクトの人文学セミナー」で作家の星野智幸さんをお招きして、「ことばから世界へ 〜星野文学から考える集団性」というワークショップをやったことがありまして、その際に書いた文章です。 ふと思い出すことがあったので、気まぐれにア…

震災対応に関するマスメディアへの提言

ポイントをあえて1つだけに絞って提言します。 マスメディア各社が連携して、被災地全域にわたる情報を集約し、共有するしくみを作ってください。 今回の震災は、阪神淡路や中越に比べても桁違いの規模・範囲におよびます。 大手のメディア企業であれ、1社…

「(1)マスメディアの問題」補足

これは関谷さんではなく、辻からの補足です。 ポイントは、今回の震災の規模、深甚さが、マスコミの1社単位でカバーできる範囲を超えているということです。 個々の記者や報道人の方々、マスコミそれぞれの社の単位での活動が不十分とか不適当ということで…

【転載】災害情報、広報の視点からみた「今、被災地のためになすべきこと」

(21日追記) 関谷直也さんがご自身のホームページに情報・提言をアップされています。 支援のためにすべきこと・できることは時間の経過とともに変わっていきます。 以下はあくまで18日時点のものであることを念頭にお読みください。 ここは大阪大学大学院…

衰退局面に入ったマスメディア

今や改めて言うに及ばないことかもしれない。 私としては『2011年 新聞・テレビ消滅』とまで言うつもりはないが、テレビはともかく新聞はこのままではあと10年もたない気がする。2011年 新聞・テレビ消滅 (文春新書)作者: 佐々木俊尚出版社/メーカー: 文藝春…

後で書くと書いておきながら

なかなか書く時間を取れずにおりましたが、「とくダネ!」放送後に担当の方からメールをいただき、それに返信したメールを上げておきます。 さらし続けてきたメールもこれで最後。 またもレスポンスが遅くなってしまい、恐縮です。 このところ週末に休めずに…

「ガバナンス論演習2009」ブログで

取り上げていただいています。 http://gov.oops.jp/index.php?ID=156 こういう形で活用していってもらえると、本望(?)というか、ありがたい限りです。

ヤフーニュース、MSN産経で記事掲載

http://d.hatena.ne.jp/dice-x/20090715#p1 ↑でアナウンスした記事ですが、ネット版がヤフーとMSNにアップされました。 YAHOO!ニュース msn産経ニュース 紙媒体の方にも近日掲載されるそうです。

フジ「とくダネ!」での放送終了

遅めの昼休み中です。 HDDレコーダに録っておいたのをチェックして感じたところを取り急ぎ。 スタッフが制作した映像部分は評価したい。 少なくとも、若者を(あるいは友達がいないように見られることへの不安を)否定的にばかり位置づけようとするものでは…

電話取材時の発言内容

収録時に辻が発言したことを録音して、すべて文字起こししたので、掲載しておきます。 相手の質問に答える形での収録でしたが、ICレコーダを電話につなぐようなものを持っていなかったので、相手の質問部分はありません。 記憶に頼って質問の概略だけでも書…

フジテレビで放送

↓のエントリで紹介したメール先が、つまりフジテレビということです。 http://d.hatena.ne.jp/dice-x/20090709#p1 先ほど電話でのコメント収録を終えました。 (自分のしゃべり下手を再認識しましたが...orz) 明日の「とくダネ!」で放送されるそうです。 …

産経新聞で記事掲載

前エントリのデータと↓の原稿の一文が引用された記事が産経新聞に掲載されるそうです。 http://d-tsuji.com/paper/e06/ 昨夜、記者の方から連絡がありました(ありがとうございました)。 新しいエントリを書く時間がなかなか取れないでいますが、取り急ぎア…

「友だちがいないと見られることの不安」

今年の初め、『月刊少年育成』に標記タイトルのエッセイを寄せました。 「便所飯」について直接ふれたものではありませんが、今の流れのなかで改めて読んでもらう意味もあるかと思い、私のホームページにアップしました。 http://d-tsuji.com/paper/e06/ こ…

一年前に書いたこと

上のエントリでふれた約一年前の記事(朝日新聞夕刊、大阪版では2008年8月2日、東京版では8月30日掲載)で、私が「便所飯」がどうこうよりも、「いくばくかなりとも伝えたかった」ことに該当する部分を抜粋して掲載しておきます。 こうした人間関係への敏感…

「便所飯」報道についてのパブリックステートメント

朝日新聞夕刊(東京では7月6日版、大阪では7月7日版)で、「便所飯」に関する記事が掲載されました。 そこにコメントを寄せたこともあってか、辻のところへテレビ各局を中心に取材申し込みが相次いでありました。 ですが、考えるところあって、今後一切の取…

インターネットにおける「右傾化」現象に関する実証研究

の調査結果概要報告書なるものをホームページにアップしました。 http://d-tsuji.com/paper/r04/index.htm おそるらくはネット右翼に関する初めての計量調査。 これまで語られていたとおりの特徴が(2ちゃんねらが多いとかw)割と確かめられました。 それ…

ポピュラーなものと公的なもののコンフリクト (12)

公的なものがだれに対しても開かれていなければならないとすれば、それは相互受動的な主体へも開かれていなければならない。先の図(a)のような相互能動的な主体たちの圏域――公共圏――は、図(b)の内に繰りこまれるような形でしか、すなわち右の図(c)のような形…

ポピュラーなものと公的なもののコンフリクト (11)

「いっしょにいる」人は、テレビのなかに「現われ」ない。相互受動的な主体は「(公的な)現われ」をもちえないからだ。「純粋テレビ」においてすら、それはせいぜい積極的に暗示されるにすぎなかった。 ただ、ネット上では、暗示以上の「現われ」への転換も…

ポピュラーなものと公的なもののコンフリクト (10)

アレントのいう「公的」の、もう一つの意味もみておこう(Arendt[1958=1994:78f])。 第二に、「公的(パブリック)」という用語は、世界そのものを意味している。なぜなら、世界とは、私たちすべての者に共通するものであり、私たちが私的に所有している場…

ポピュラーなものと公的なもののコンフリクト (9)

ポピュラーなものにおける「みんな」は、決して積極的に姿を現しえない「相互受動的な主体」を含む。そのように想像された共同体である。だれに対しても開かれている――公共性の第一の意味――ということは、相互受動的な主体に(も)開かれているということだ…

ポピュラーなものと公的なもののコンフリクト (8)

ポピュラーなものにおける、見知らぬ匿名的な「みんな」を想像するということは、徹底的に受動的な(passive)、受動的でしかありえない者(たちの共同体)を想像するということでもある。なぜなら、能動的である者は、その姿を現す――顕名的である――ことによっ…

ポピュラーなものと公的なもののコンフリクト (7)

アンダーソンは、新聞や出版を例にとり、「想像の共同体」を、公共性の第一の意味における「みんな」=国民・国家に接続していく。ここではそれとは別の、ポピュラー性における「みんな」への接続点を、ラジオを例に探ってみよう。かつて平野秀秋・中野収[1…

ポピュラーなものと公的なもののコンフリクト (6)

マスメディアは、単に「広く一般に」メッセージを伝えるメディアであるのではない。そのメッセージが「広く一般に」伝えられること自体も、メタメッセージとして伝えている。これは案外マスコミ論などでも見過ごされがちなポイントである。 何年か前、「見え…

ポピュラーなものと公的なもののコンフリクト (5)

このように、(好きなものの共通性を介して)見知らぬだれかに開かれていることは、ポピュラーなものにおける「みんな」が、ある種の「想像の共同体」であることを物語る。その想像力の近代的なありようを、ベネディクト・アンダーソンは次のように描写して…

公的なものとポピュラーなもののコンフリクト (4)

それと関連して重要なのは、次のことである。ポピュラー性の場合は、好きなものの共通性が「みんな」を定義する(共通性→「みんな」)。一方、公共性の場合は、「みんな」がまず定まらないと何が共通かも決まらない(「みんな」→共通性)。機序が逆なのだ。 …

公的なものとポピュラーなもののコンフリクト (3)

公的な(public)ものに限っても、そこで想定される「みんな」は必ずしも一義的ではない。それは、公共性(publicness)という語の多義性に対応している。斉藤純一[2000:viii-ix]*1は、その意味あいを、次の三つに大別している。 第一に、国家に関係する公的…

公的なものとポピュラーなもののコンフリクト (2)

問いかたを少し変奏しよう。「みんな」のものということであれば、公的なものもそうだろう。公園や公道などの公共財は、まさに「みんな」のものである。子どもたちは、「みんな」の迷惑になることはしてはいけない、と公共の場でのふるまいかたを教えられる…