ポピュラーなものと公的なもののコンフリクト (6)

 マスメディアは、単に「広く一般に」メッセージを伝えるメディアであるのではない。そのメッセージが「広く一般に」伝えられること自体も、メタメッセージとして伝えている。これは案外マスコミ論などでも見過ごされがちなポイントである。
 何年か前、「見えてもいいブラ」という商品のテレビCMが流されたことがある。購買層として想定されるのは若い女性だから、そこにセグメントされたメディア(女性誌やダイレクトメールなど)で広告したほうが、ある意味では効率的だっただろう。だが、それでは「見えてもいいブラ」になりえない。それを買うことなどないようなオジサンたちにも、「広く一般に」知られていなければ、見えてはまずいブラと同じ視線にさらされてしまうだろう。「見えてもいいブラ」というメッセージが「広く一般に」知られること自体が知られてはじめて、その商品は「見えてもいいブラ」になりうるのだ*1
 話が少し逸れた。本筋に戻ろう。

*1:「見えてもいいブラ」はマスメディアのマスメディア性がつくりだすという話は、こちらのブログ(→Is LIFE short? blog)でずいぶん前に書かれていて、「なるほど、これはいい例だ、講義で使わせてもらおう」と思った記憶がある(が、そのエントリがどこにあるのか探し当てられなかった)。