衰退局面に入ったマスメディア

今や改めて言うに及ばないことかもしれない。
私としては『2011年 新聞・テレビ消滅』とまで言うつもりはないが、テレビはともかく新聞はこのままではあと10年もたない気がする。

2011年 新聞・テレビ消滅 (文春新書)

2011年 新聞・テレビ消滅 (文春新書)


ネット登場以前から新聞離れ(活字離れ)は叫ばれてはいた。
NHK放送文化研究所の生活時間調査によれば、1985年時点の新聞講読の行為者率(平日の場合)は20歳代の男性で51%だった。
つまり、2人に1人は新聞を読んでいた*1のが、95年には3人に1人(32%)まで下がっている*2
これが2005年になると、5人に1人(21%)まで下がる。
30歳代、40歳代も同様である。


ただ、85年から95年の変化(低下)と、95年から05年の変化には、構造的に大きく違う点がある。
1985年に20歳代だった男性、つまり1956〜65年生まれの男性は、95年には30歳代であり、彼らの新聞の行為者率は85年51%→95年55%に上がっている。
同様に、1946〜55年生まれの男性は65%→67%に上がっている(とまで言えなくても、少なくとも下がっていない)。
同じ世代の中でみれば、この85年から95年の十年間には、新聞を読む習慣自体は失われていなかった。


これが95年から05年になると、1966〜75年生まれの男性では(95年20歳代)32%→(05年30歳代)29%に漸減。
1956〜65年生まれでは55%→41%に、1946〜55年生まれでも67%→56%へと、大幅に減少している。
同じ世代の中でも、新聞を読む習慣が失われ始めたのだ。
以上のことは、女性の場合にもあてはまる。
この低下傾向を単純に延長させていくと、2015年には10代〜40代の新聞講読率(行為者率)は数%から15%程度の範囲にまで落ちると予想されることになる。
これまでの紙媒体中心のビジネスモデルでは、全国紙は経営上危機的な状況に追い込まれるパーセンテージだろう。
ではネットにシフトしていくことは可能かと言えば、そこで採算が成り立つだけのビジネスモデルはまだ見つかっていないのが現状だ。


テレビは新聞ほどにはきつくなかろうが、それでも規模の縮小は必至だろう。
もっとも個人的には、これまでのテレビが巨大すぎただけだと思うので、適正規模になっていくためのいい機会だとも思うが。
ただ、マスメディアがこれまでのような巨大な「権力」の座から落ちていった先の状況が気になる。
視聴者、読者(受け手)の側に、その用意がはたしてできているだろうか。
2ちゃんねらにせよ、メディア(リテラシー)研究者にせよ、これまでであれば、マスメディアを権力として「批判」していれば、それで事足りた。
それは裏返せば、権力への「依存」に他ならないわけだが、それでもそれが大きな権力であったがゆえに、それなりの意味・機能はあった(ことにしておこう)。


親の力が圧倒的であるとき、子どもが親にむやみに反抗・反発するのも、それはそれで意味があろう。
しかし、親が老い衰えてなお、子どものときと同じような反抗しかしない、できないのは、滑稽でしかない。
マスメディアは老い衰えつつある。
もちろん、このまま消滅してもかまわないという考え方もあろう。
ただ、それで本当にいいのかという議論は――これまでのポジションに固執する親の小言・愚痴と、親が老いたことを正視できずにいる子どもの甘え・悪口ばかりで――ほとんどなされていない。

*1:調査手法上、一日に15分以上新聞を読んだ場合に行為者としてカウントされる。

*2:95年に調査方法の変更があったので厳密な比較はできないが。