2008-08-30から1日間の記事一覧

ポピュラーなものと公的なもののコンフリクト (12)

公的なものがだれに対しても開かれていなければならないとすれば、それは相互受動的な主体へも開かれていなければならない。先の図(a)のような相互能動的な主体たちの圏域――公共圏――は、図(b)の内に繰りこまれるような形でしか、すなわち右の図(c)のような形…

ポピュラーなものと公的なもののコンフリクト (11)

「いっしょにいる」人は、テレビのなかに「現われ」ない。相互受動的な主体は「(公的な)現われ」をもちえないからだ。「純粋テレビ」においてすら、それはせいぜい積極的に暗示されるにすぎなかった。 ただ、ネット上では、暗示以上の「現われ」への転換も…

ポピュラーなものと公的なもののコンフリクト (10)

アレントのいう「公的」の、もう一つの意味もみておこう(Arendt[1958=1994:78f])。 第二に、「公的(パブリック)」という用語は、世界そのものを意味している。なぜなら、世界とは、私たちすべての者に共通するものであり、私たちが私的に所有している場…

ポピュラーなものと公的なもののコンフリクト (9)

ポピュラーなものにおける「みんな」は、決して積極的に姿を現しえない「相互受動的な主体」を含む。そのように想像された共同体である。だれに対しても開かれている――公共性の第一の意味――ということは、相互受動的な主体に(も)開かれているということだ…