2008-08-29から1日間の記事一覧
ポピュラーなものにおける、見知らぬ匿名的な「みんな」を想像するということは、徹底的に受動的な(passive)、受動的でしかありえない者(たちの共同体)を想像するということでもある。なぜなら、能動的である者は、その姿を現す――顕名的である――ことによっ…
アンダーソンは、新聞や出版を例にとり、「想像の共同体」を、公共性の第一の意味における「みんな」=国民・国家に接続していく。ここではそれとは別の、ポピュラー性における「みんな」への接続点を、ラジオを例に探ってみよう。かつて平野秀秋・中野収[1…
マスメディアは、単に「広く一般に」メッセージを伝えるメディアであるのではない。そのメッセージが「広く一般に」伝えられること自体も、メタメッセージとして伝えている。これは案外マスコミ論などでも見過ごされがちなポイントである。 何年か前、「見え…
このように、(好きなものの共通性を介して)見知らぬだれかに開かれていることは、ポピュラーなものにおける「みんな」が、ある種の「想像の共同体」であることを物語る。その想像力の近代的なありようを、ベネディクト・アンダーソンは次のように描写して…