最後のいいわけ

8日に書いた「権力作用のなかで権力作用を「語る」ことのむずかしさ」について、ちょっといいわけを補足。
読み返してみたら、そのむずかしさが付随的(非本質的)なものに思える書きかたをしていたので(これだと「よ〜く気をつけて語りましょうね」ってことになりそうだし)。
こういういいわけは「ささっと「片付けて次に行く」もん」であるべきなんだが、う〜、要領悪いぜ。
私が言いたかったはずの「むずかしさ」は、次のようなものだ。
女性が「家庭でも職場でも女性は男性に搾取・抑圧されている」と言ったとする。
男性である私が「しかし、男性が一方的に抑圧する立場にあるとみるのはいかがなものか、過労死が男性に多いことをどう見るか、男女ともに今の社会制度に抑圧されていると考えたほうがよいのではないか」と言ったとする。
これは、男性/女性という問題設定を、中性化し中和しようとする連帯化のレトリック。
それに対して、「男性たるあなたが、そうした物言いによって、性の問題を抑圧・隠蔽しようとすること、そのこと自体がまさしく当の問題にほかならないのだ」と、言説に対するメタ言説の水準で異議申し立てをしたとしよう。
この異議申し立てはとても正しいと個人的には思うが、それはさておき。
ここで、さらに私が「しかし、あなたがそのように言うこと自体もまた、私に沈黙を強いるルサンチマン的な権力作用(抑圧)の発動ではないか」とメタ言説に対するメタメタ言説の水準で反論したとしよう。
こうなると、議論はもうメタにメタの屋上屋を重ねていくしかなく、まさにメタメタになってしまう(へたなだじゃれで恐縮)。
権力作用に距離をおいて「中立」の立場から「語る」ことができるという態度をとること自体が、権力作用による仮構であり、権力の発動にほかならないとすれば、権力作用を「語る」ことはどうしたってきわめて困難な作業にならざるをえない。
そのむずかしさだ。
(むろん、だからといってすべての問題を、たとえば性(ジェンダー)の問題に回収しようとするようなやりかたはどうかとは思うけれど。確かにすべての問題は性のアスペクトのもとで眺めることができる。ただ、それはすべての視知覚対象を色というアスペクトで見ることができることに原理的には等しい。何の色も伴わない図形を私たちが見ることは不可能だ。しかし、三角か四角かを問題にしているときに、「すべての図形は色をともなっているのに、色の問題が欠落している」とか「三角より赤のほうが大きい」とか言い立てるのは変だろう。形の問題は形のアスペクトで問題にしないと、不毛な議論しかうまない、と私は思う)
権力作用のなかで、それをどのように語るか、その語りかたを練り上げていくことのむずかしさ。
というより、誤解を懼れずにいえば、むしろどのように黙るか、だ。
単なる絶句でなく、語らない・語れないという否定形でもなく、沈黙するという肯定形をどのようなかたちで/かたちに練り上げていくか。
こうすればいいという理論的な解などあるはずもなく、個々の具体的な場で対処していくしかない問題だが、今のところ私にはあまりにむずかしくて、首尾よく沈黙しおおせたことがない。
だから、こんないいわけを書いているわけで。


でももうホント、いいわけはやめよう。
自分で書いててもウザすぎる。