なぜ大学で勉強するのか

朝日の夕刊(大阪版)03年12月12日に載ってた「みうらじゅんのお悩み祭り」から。
こんなお悩み相談でした。

私は大学生なのですが、あまりにも大学の課題が面白くなく、何の役に立つのか疑問に思えてしまい、全く課題が進みません。


そうだよねー。
って、大学教員が共感してちゃいかんか。
みうらじゅんのお答えは、こんなやつでした。

田山花袋!」と言われて、「フトン!」…とツッ込めた自分がうれしくなる瞬間があります。現場は主に飲み屋なのですが――
…(略)…。
学生時代と違い大人になると共通の友達もいなくなり、共通の話題もなくなります。そんな状況下で一番大切になってくるのが“センスが合う”ということです。……。それをしこたました後は学生時代、どれだけ役に立たない情報をゲットしたかのバトル・トークです。
耶律阿保機!」とか、「屈葬!」とか、「モヘンジョ・ダロ!」とか、そーゆーものです。
教育とは結局、後に飲み屋で盛り上がるためのネタなのです。「そんなの知らない!」と、ふてくされ者にならないように学生時代から勉強しましょう。


そのとーり(笑)。
大学とは「教養」を身につけるところです。
「教養」といういかめしいことばに惑わされてはいけません。
とどのつまりは「飲み屋でのネタ」のことです。
大学にしごとや生活で役に立つ知識やスキルを求めてもいけません。
役に立つ/立たないの基準にのっからない(まあ、その基準でいくと主に「役に立たない」)教養=「盛り上がるためのネタ」を身につけるのが大学です。
大学とはそーゆーところです。
それで、いいのだ。