オウム

今は廃刊した雑誌『03』1991年6月号(新潮社)に掲載された「麻原彰晃 vs. 荒俣宏 サイキック対談 人はなぜ現世を超えるのか」より。
その前書きとして荒俣宏の書いた文章は「麻原彰晃はきわめてオーソドックスな20世紀チベット仏教派の新宗教の教祖だ、と思った」から始まる。

かれがオーソドックスである理由は、
(1) 修行
(2) 師
(3) 神秘的覚醒
チベット小乗仏教3要素がそなわっていたからだった。すなわち、絶対的な師のもとで、出家修行し、死や狂気とスレスレのところまでいって宇宙的覚醒に到達する。
…(略)…。
今回、富士のふもとにあるオウム真理教の道場へ出むいて、麻原彰晃と話をするうち、私はますますかれにある小乗派のオーソドキシィを感じた。
まず道場だが、手づくりのプレハブで殺風景。だだっぴろい大広間に、ミカン箱を置いて麻原尊師の写真を貼りつけ、ウォークマンでテープを聞きながら行[ぎょう]にはいっている若者たち。これで全員墨染めの衣をまとい、根本中堂のような凛とした大伽藍で行にはいっていれば、「厳粛な修行」となるのだろうが、こういう手づくりの場合、「異様なる後景」と見出しがでてしまうに決まっている。
もちろん私は、右も左もわからない十七、八の若者を集めて、ひとりで師を気取る手合いに一切の共感をいだかない。この世に完璧な師などいない。しかし、たしかに幻想の師をもとめようとする若者たちがいて、それにほだされる“年長者”がいるにはいる。麻原尊師もまた狂信的な若者を背景にした、いい気な教祖かと危惧したが、うれしいことにそうだはなかった。

(p.55)


そしてこう続けている。

麻原彰晃は、教祖にしては異常なほど気配りする人である。一連の社会問題をひき起こしているせいか、独房修行を中止するなど、かなり社会に気を遣っている。私ならば、どうせ社会なんぞ地獄の亡者の集団だから、と無視したところだろう。
また、かれの弟子たちについても麻原はかなり客観的な見かたをしているのが興味ぶかかった。麻原は、たとえば殺人のような反社会的行為をおかす弟子がいないとは限らない、と考えている。すくなくとも私はそう理解した。ところが、最初私はオウム真理教の出版物に、一家そろって入信した家族が幸福そうにしている写真を見て、そのあまりに無批判な〈家族主義〉賛美に反発を感じたので、麻原尊師にその点を尋ねてみた。まっとうな判断力のない子が、親の勝手で入信させられたあと、成人してオウム真理教を拒否することもあるんじゃないですか、と。
すると麻原尊師は、「そのとおりです。現に、名古屋で、ある子供さんが修行はいやだといって教団をぬけたケースもあります」と答えてくれた。
宗教は一種の自己成就的預言を現実に実践させるシステムであるから、無理難題もあれば、飴や鞭もある。脱けそうになる信徒に対しては、うそも方便で、嚇してでも修行をつづけさせるのが先輩や師の“情[なさけ]”だ。教団生活とはそういうものなのである。そこを自由にしている教団というのは、むしろ少ない。
それは、簡単にいえば、逃げだす者を許す、ということである。麻原がむしろオーソドックスな導師であることの証拠が、弟子への冷静さにある。「神秘力をもてないような解脱は、解脱じゃありません。これが私たちの定義です」といい切った麻原にすれば、ここは義務教育の道場ではない、ということなのだ。この教団で伝授する超絶的な知恵は、それにふさわしい弟子にだけ伝えられる。そのための選択が修行なのである。プラトン的な発想だ。

(p.56)


「したがって」と荒俣は続ける。

したがってオウム真理教が、麻原の「空中浮遊」写真や、透視の実例を、出版物を通じて社会に流すことも、また、ごく当然な行為といえるだろう。超能力を身につけなければ、修行の意味がないからである。
もちろんこの言い回しには留保点もある。麻原が神秘力といい、世間一般が超能力と呼んでいる「解脱の証明」としての最高度の“知恵”は、個人体験によってしか理解できない性質のものなのだ。ただしこの問題は、これ以上深くも浅くも論じられない。
もうひとつ、麻原彰晃と出会って好ましく感じた点は、かれがかなり寛容な人物だったということだ。きたない家と粗末な食事に甘んじている、といった世俗的問題から発して、社会や弟子との対応まで。どれも、幼さに似た無邪気な寛容さがあった。…(略)…。私はそれでも、ベンツに乗っていることと、ケイマ女史が奥さんのように何くれと世話を焼く姿とに、ある種の疑問を感じたけれど、これも安全のためとわかった。なぜなら、かれは強度の弱視で、現在はもうほとんど目が見えないからである。
くり返すが、現世には真の師や魔術師が存在しているとは思えない。まして日本の現状では。だが、そのことを別にして、私は麻原尊師にかぎりない好感を抱いた。おそらく、解脱した者は幼児のように他愛もないか、あるいは阿修羅のように狂熱的であるかの、どちらかだろう。多くの解脱伝説に述べられているように。麻原彰晃がほんものの解脱者であるとして、かれが示す寛大の姿勢は、あきらかに前者の例といえるだろう。

(p.56)


95年の地下鉄サリン事件の4年前になされたこの発言を、現在から遡って断罪するつもりはさしあたりない。
ただ、荒俣氏を含め、95年以前に、オウムについて何ごとかを語っていた人々は、今また何ごとかを語るべきではないか。
「へー」のボタンを押してばかりいずに。


サイゾー』3月号の松原×東谷対談から、「エコノミスト」に対する松原隆一郎さんの発言を引いておく(p.116)。

もちろん、エコノミストは以前と違うことを言っても構わない。でも、それにはいくつかの条件があります。自分が主張する政策が実行されたら、それによって倒産などの実害を被る人が出る以上、その言論に責任を持つ義務があります。だから発言を替える際には、自分の事実認識が間違っていたのか、それとも現実が変わってきたからそれに応じて発言を変えたのか、それとも発言の背後にある理論を変えたのかを明らかにすべきでしょう。