就活のバカヤロー
お茶の水大の耳塚寛明教授が日経4月3日朝刊に寄せられたコラムより。
最近の学生は、大学教育の消費者として権利を堂々と行使するから、休講もしにくい。喜ばれると思いきや補講を要求される。他方学生たちからみれば、欠席は権利であり、ましてや就職活動には“将来”がかかっているので文句をいわれる筋合いはない。力関係は学生が強く、どう考えても私たちの分が悪い。
その学生たちより、もっと強いのが企業である。平日の授業時間に、平然と学生を呼びつけて、落とす。学生は唯々諾々と従う。授業の都合も聞かず電話一本で、はせ参じさせる企業の態度には、市場におけるむき出しの「力」の行使を感じる。なかば暴力といってよい。
研究にばかり力を入れて教育から手を抜き、大学をレジャーランド化したのは大学教員だと批判しているのは、誰だろう。
面接のためにゼミを休んだ学生が帰ってきて不満げにつぶやいた。授業をどんどん休ませるくせに面接で「大学時代もっとも打ち込んだ勉強は?」と尋ねられたというのだ。私は感動して、この健康な精神を持った学生に優をつけようと思った。
私もその学生に優をつけるお手伝いをしたい(笑)。
同じく日経4月13日朝刊の「文鳥」氏のコラムより。
新学期が始まるとキャンパスは新入生でにぎやかになる。……。そんな中で、四回生の演習(ゼミ)だけは空席が目立つ。
理由は企業論理優先の採用活動にある。一人の学生が訪問する企業の数は平均五十社に達するという。午前は東京、午後は大阪という日も珍しくない。
……。
日本の大学進学率は五割に達し、少子化の影響で十八歳人口は今後十年間で二十万人以上も減少する。だから一部の難関大学を除き、多くの大学では入学者確保という「入り口」問題に加え、卒業後の進路開拓という「出口」問題にも必死で取り組んでいる。卒業しても就職できないような大学には受験者も集まらないからだ。
もちろん、大学は就職のための「予備校」ではない。学生は専門知識の習得に努め、教員は教育と研究に切磋琢磨するのが大学の本務である。ところが大学の管理(経営)者は生き残りをかけて、偏差値の高い学生を確保し、卒業生を人気企業に送り込むことに熱心だ。
そうなると、職員だけではなく教員も動員される。高校には「高度な教育をしています」と出張講義に出かけ、企業には“能力の高い学生がいます」と売り込みに行く。この結果、削られるのは研究時間であり、増えるのは交渉と会議の時間だ。
こう言うと、そんなことは民間企業「では」当たり前だという批判が返ってくる。しかし、利潤追求を第一に掲げる民間企業の経営と同じ論理で、大学を運営するのが本当に望ましいことなのか。
少なくとも、大学教育に支障を与えるような採用活動をしている企業の経営者に、大学を批判する資格があるとは思えない。
もう一も二もなく大賛成、拍手喝采である。
一方で、これを掲載した日経(だけでなく、この手のことを言いがちなマスコミ企業)の採用活動の実情について、ちょいとおたずねしてみたい気もするのだが。
しかし、こういうふうに企業の採用活動を批判するからには、当然、返す刃が我が身に降りかかってくるわけで、大学側もきちんと教育をおこなっていることが前提となる。
その点で、「ん?それでいいのか」と思った関西学院大の新単位制度についての記事。