阿部真大『搾取される若者たち ――バイク便ライダーは見た!』

搾取される若者たち ―バイク便ライダーは見た! (集英社新書) 非常勤帰りの電車のなかで読了。『ソシオロゴス』に掲載されていた論文の新書化ですよね。
バイクの世界も、バイク便ライダーの世界も知らない私にとって、そのルポというだけでもおもしろい。
社会学的にも興味深い(「誘惑する職場」の分析など)のだが、個人的には、薄皮一枚の隔靴掻痒感が残る。
バイク便ライダーが、その労働の、低階層性の過酷さへの対処として、その仕事を「劇場」化(「虚構」化)するしくみはわかった。
で、私が気になるのは、何故、バイク便ライダーをはじめとする「自己実現ワーカホリック」がそのような形で過酷さを処理する戦略を用いるのか、ということだ。
処理戦略としては他に考えうるオプションはあろうが――個人的オプションというより社会的オプションとして――、何故「虚構」化というオプションが今、目立つようになったのか。
たとえば、日本以外ではどうなのか、日本でも高度経済成長期やそれ以前ではどうだったのか。
そこにも同種の過酷さはある/あったはずだ(今の私たちの目から見ての「過酷さ」にせよ)。
もちろん、著者の関心はそこにはないので、ないものねだりではあるのだが、私自身はそのあたりに引っかかってしょうがない。