必修逃れ問題

2年務めた学部執行部もお役後免になり、ようやく少し時間の余裕もでてきたので、ブログもぼちぼちしたペースで再開していこうかな、っと。
そういうわけで、おとといのAO入試の面接の際も受験生諸君から話の出た、高校の必修逃れ問題について、ちょっと書いてみる。


なぜこういう問題が今になって(でもないが)起きるのか。
この点、もうちょっと報道各社はちゃんと突っこんでほしいと思う。
「受験戦争」だとか「入試地獄」だとか、いつの話を引いてるんだ。
各新聞社の社説をみても、オチは揃いも揃って、大学入試制度改革。
朝日11/3社説
毎日11/2社説
読売11/2社説


改善の余地は残されていないとは無論言えないが、かつての「受験戦争」時期に比べて、かなり改革はなされているはず。
一般的な私立大学の場合、何種類の入試が用意されており、そこに教員がどれほどのエフォートをつぎ込んでいるか、各社の論説委員はご存知か。
本務であるはずの教育・研究を犠牲にして、どこまで入試にエフォートをつぎ込むべきなのか、ぜひともお考えを聞かせてほしい。
大学にとって入試とは、たとえて言えば新聞社にとっての購読勧誘とか営業のようなものである。
大学は学生がいなくては成り立たないし、新聞も読者がいなくては成り立つまい。
しかしだな、記事なんて社説なんてそこそこでいいから、一件でも多く契約取ってこい、と言われたらどうする(それがたとえ「うちの新聞にふさわしい良質な読者を」という条件つきであったにせよだ)。
そこまででなくとも、今の大学の現状は、記事もコラムもいいのを書いて、そのうえ(というかそれ以上に)1人でも多くの契約を取ってこい、と言われているのに近いのだが。


話が少し逸れたけれども、必修逃れをしたとして取りざたされている高校名をみると、いわゆる中堅進学校(「中の上」クラス)が多いように思う。
http://www20.atwiki.jp/hisshuu/pages/4.html
進学実績を少しでも上げたい高校、である。
なぜなら生き残りがかかっているから。
大学全入時代をむかえた今、このクラスの高校には、進学実績を上げる――「勝ち組」入りできる――チャンスがある。
上げられなければ、というか現状維持であったとしても、定員を減らさない限り、少子化の進行とともに、偏差値レベルは下がっていき、ゆくゆくは淘汰されることになるかもしれない。
だから、必死の踏ん張りどころ、というわけだ。


この「競争」は、右肩上がりに高校入学者全体のパイが拡大していた、かつての「受験戦争」時の競争とは、まったく構造が違う。
構造不況の業界での生き残りを賭けた「競争」なのだ。
それは大学業界とて同じことであり、そうした「競争」を、社会から隔絶されてのほほんと過ごしてきた高等教育業界を「改革」するものとして奨励してきたのは、政府でありマスコミであり、また「世論」ではなかったか。


あのね、学歴社会(というか偏差値社会)の批判を、この件にかこつけて、飽きもせず繰り返しても実効性はないと思うよ。
現実的にそれがある程度うまく機能して(しまって)いるからこそ、何十年も批判されているにもかかわらず、「一流企業」(マスコミ各社含む)には「一流大学」卒が圧倒的に多いわけでしょ。


「教育」の理念・理想は、現実の「競争」の前に、あまり力をもたない。
しかし、おそらく教育者の多くは、現実主義だけではやっていないし、やっていけない。
要は、現実のなかに、理念・理想が息をつくことのできる余地をどう作るか、だ。
その余地が狭まっているなかで、いくら理念・理想の復活を叫ばれても、な。
せめて、古くさい構図は捨てて、今の高等教育の置かれている状況・構造のなかに、きちんと問題を位置づけましょうよ。