大学生の犯罪1969

「関大通信速報」No.1(1969年10月16日発行)より抜粋。
文中の人名は、とりあえずアルファベットに変更してあります。

 九月以降に発生した主要な暴力事件はつぎの通りである。
9.12(金)午後3時頃、法学部学生・Y君が誠之館で号館で経斗委・工斗委のヘルメットを着用した学生数名に包囲され、工学部自治会室に連れ込まれた。そこで自己批判を迫られ両大腿部打撲のため全治一週間の負傷。
9.16(火)午後2時すぎ、経済学部主催の1・2年次討論集会を第2学舎2号館C304教室で開いていたところへ全共斗学生約50名が乱入、経・商合同討論集会を迫った。この集会に自発的に参加しようとしたN助教授(商)は、全共斗学生によって鉄パイプで暴行を受け負傷した。
9.22(月)阿倍野区旭町の阿倍野金塚派出所を大市大医学部から出た赤ヘルメット・白衣姿の学生の一団が襲い、火炎びんを投げ込んだが、この事件で本学社会学部学生Hが逮捕された。
9.29(月)11時過ぎ、学友会中執N君が全共斗学生に誠之館3号館に連行され鉄パイプ、ハンマーで頭および手足の関節を殴打され、全治約10日間の負傷を受けた。
9.30(火)午後1時頃、商学部学生H・文学部学生Kの両君が商事務室附近で捕まり、一時は第4学舎内講師室まで逃げたが、追跡してきた全共斗学生10数人に金槌ようのもので頭などを殴打されたうえ、商事務室内でもさらにリンチを受けて、重傷を負つた。その際、制止に入つたK助教授(商)も目を負傷した。
10.1(水)12時半頃正門附近で通行中のY助教授(文)が全共斗学生に全身を殴打され右目を負傷、市内の病院に収容された。さらにS教授(文)は文学部会議室から全共斗学生によつて大衆団交の席へ追いたてられる際、突きとばされて脇腹を強打し歩行困難となるほどであつた。
 また午後6時頃、全共斗学生約300名が関大前駅までデモした際、約50名が大学前派出所に投石し、窓ガラスを破損した。
 なおこの日、京大で学生の投げた火炎びんで全身に火傷を負つた文学部学生・T君が阪大病院で死亡した。
10.3(金)9時45分、全共斗学生約60名が工学部事務室・試験本部・印刷室に乱入し、手あたり次第に破壊し逃走した。その際、K助手(工)はガラスで右手首動脈切断、腱断裂で約40日間の重傷、T助教授(工)は投げられた植木鉢で歯を折り、顎骨を折つた。
10.6(月)午後2時半頃、第4学舎玄関にいた職員Mさんが、投石により頭に負傷し同時に機動隊員1名も投石による怪我をうけた。
10.7(火)午前10時頃、工学部第4学舎附近にいた約40名の警官隊めがけて3個の手製の小型爆弾が相ついて投げられた。1発は不発であつたが、2発は警官隊から約10mのところで爆発、中から20〜30本の一寸クギが四方に飛び散り、10mも離れたところにあるガス銃の銃把に突きささり、水筒を貫通する威力をみせた。
10.11(土)午後3時頃、経商事務室前で授業妨害を制止しようとした3名の教員に対して、数名の全共斗学生が威力をもちい、その際、O助教授(商)は顔面を殴打され負傷した。
10.14(火)午後0時55分、誠之館3号館新館2階において、政治問題研究会、T君が、全共斗学生5〜 6人が鉄パイプ、椅子、牛乳瓶等で暴行を加え、頭頂部打撲裂創のため吹田市民病院へ回送、帰宅した後、天六の加納病院へ入院。