講義の感想より(2)

2ちゃんねるを全く読まない人が4割もいたことには少しおどろきました。また書き込んだ経験のある人が1割以下であることにもおどろきました。予想では3割はいるだろうと思っていました。2ちゃんねらーである人が目につきやすいから、もっとたくさんいるのだろうと思っていたのかもしれません。実際には少数の人間によって書かれたり作られたりしているものなのでしょうか。

80年代末のパソコン通信の時代から「RAM(Radical Access Member)1人にROM(Read Only Member)10人」とか「RAM1人にROM100人」とか言われてましたからねぇ。今でもその事情に大きく変わりはないということでしょう。ちなみにホームページの保有率も時代によってさほど変わらず1割程度、アクティブに更新している人はさらに少なくなります。

私も何度か「2ちゃんねる」を読んだことがあります。音楽アーティストの“パクリ”について立てられたスレッドはたくさんの書き込みがあり、その中のほとんどは過激な発言でした。「2ちゃんねる」独特の用語が多く、内容の詳細は理解できませんでした。
書き込み式のチャット・BBSのサイトにアクセスする機会は私自身多いのですが、「マジメ」なやりとりでは過激発言は完全に「スルー(無視)」されたりしています。

2ちゃんねるを読むには、独特の用語に限らず、広い意味でのメディアリテラシーが要りますよね。このあたり、メディアリテラシー論の大御所さんたちが見事に「スルー」するのは、どういうことなのか。

特に今回の講義は、僕がいつも疑問に思っていた、というか、心に引っかかっていたことに、明確な答えをもらったような気がして、嬉しくなりました。
1) 自民党支持者にB層が多い
2) ネット上で見かける意見の右傾化
3) さかんに行われる朝日新聞バッシング
4) 現実(リアル)の捉え方などなど
3)については触れられていなかったけど、とにかく僕にとって有意義でした。

2)と3)については、やはり↓の本を読むとよいかと思います。

嗤う日本の「ナショナリズム」 (NHKブックス)

嗤う日本の「ナショナリズム」 (NHKブックス)

小泉劇場」とはそういうことだったのかと納得した。確かに選挙報道を見ていても、バラエティ番組かと思えるような、少し娯楽の要素が入った報道番組もあった。こういった身近な例で考えてみると、確かに、自分のリアルな人生に関わってくるような重要なことでも、一歩引いたところから他人事のように「おもしろい」と眺める傾向があるように感じた。ナチスと言えば大げさかもしれないが、私たちがそのことに気づいていないところは通じるところがあって少し怖いと思った。

若者のプチナショナリズムの話を聞き、ハッとさせられました。確かに私もたいして政治にも詳しくないくせに、「靖国神社参拝のどこが悪い」と思ったり、小泉首相を嫌う人の気持ちがまったくわからないまま、生きていたように思います。

このあたりに関連する話は、昨日、北海道新聞の夕刊に原稿を寄せたので、また紹介します。

私は「文化心理学」を受講しています。情報メディア論の授業の中で、対人関係が選択化されているとおしゃっていて、ああその通りかも、と思いましたが、文化心理学の授業では、選択化され、希薄化もしている、両方だとおっしゃっていました。どちらの意見も聞くことができ、おもしろかったです。私は先生がこの授業でおっしゃったことにより共感したので、選択化されていると思います。

「希薄化」で何を指すかの問題ですね。私の用語法でいう「局面化」を指すとすれば、統計データからも「希薄化」していると言えますし(ただし「表層化」はしていない)。
私自身がおもしろく思うのは、若者論の講義をすると、内容に説得されたかどうかではなく、共感率(シンクロ率)の高低で評価されるのが多いことです。

mixiは私もやっているのでおもしろかったです。(昨日、テレビをみていてSNS加入者が400万人に達していると言っていたので、おどろきました。)実際、友人の友人と知り合いになりました。直接の知り合いじゃないぶん、確かに弱い絆かもしれませんが、同じ目標を掲げているので、互いに有用な情報で堅い絆にしていきたいと思いました。

SNSの調査は、ぼちぼち本腰を入れてやってみたいとは思っています。いわゆるweak tie論で言われているようなことがあてはまるのか、関係資本としての社会的信頼の醸成にとってどう影響するのか。