講義の感想より(1)

今年度後期はテレビのリアリティ(or リアリティTV)の話やら、ケータイ的/ネット的リアリティの話やらを、とりとめもなくしてきたわけですが。

トゥルーマン」や「マトリックス」の映画、「サバイバー」の映像を組み込んでの講義が多かったので集中できた。
「あいのり」の映像の矛盾点は、おそらく講義を受けなければ気にもかからなかったであろうと思います。
確か、現代のバラエティ番組でVTRを別に録り、スタジオで分析、論評する形式が増えたきっかけは「探偵ナイトスクープ」が初めだ、と社員さんにうかがったことがあります。

「あいのり」ではなくて、「猿岩石」ですね。ヒッチハイクした車がヤバイ人たちで、有り金すべて巻き上げられたのに、なぜかいい金になるはずのビデオが無事で、車外に放り出された直後から回り続けている、という。ヤバイ人たちがビデオに気づかなかったはずもないのに(「映すな」ってカメラに手をかざすシーンが入っている)。このシーンはリアルタイムで放送を見たときから気になっていたのです。10年前(つまり80年代前半)なら確実に「やらせだよね〜」と盛り上がってたと思うんだけど、当時すでにたいした話題にはならなかったんですよね。
スタジオ論評形式の起源については、確かナイトスクープ以外にも説があったような。

タモリさんが生放送中に時間をひきのばしてダラダラするのは実はワザとそうしてお客をはらはらさせてひきつけるのが長寿番組の秘訣と言っていたことがありました。
テレビは仮想の作り物と思って見ている私たちは、実際にひきつけられているのは、生放送でそれが崩れて、リアリティが見れる瞬間を期待しているということなのかと思いました。

タモリの話は知りませんでした。視聴者は作り事が崩れる瞬間を期待している。そのことを「トゥルーマンショー」のなかで象徴するのが、放送が中断された直後から視聴率が上がり続けるシーンではないか、という話は講義のなかでしましたが、これは日本でも確か1980年代に実際にあった話。22時台か23時台で関テレだったと思いますが、放送事故で15分ほど映像が何も映らなかったことがありました。そのとき、その時間帯の最高視聴率を記録したそうな。確か新聞記事にもなったはずです。

ふだん何気なく観ていたリアリティテレビ(MTV、ジ・オズボーンズ)の見方が変わりました。若干興ざめしたのは否めませんが、今までと別の視点で観るのも面白いものです。

まあリアリティテレビと一口に言っても、いろいろなものがあって、欧米型のリアリティテレビなどと一緒くたにして論じたのは乱暴でしたが(すみません)。イギリスやアメリカでのリアリティテレビ人気には今でも根強いものがあり、確かRoutledgeのメディア論テキスト(AS2 Media Studiesだったか)でも1章1節でReality TVが扱われていたと思います。

リアリティTVの例として、皇族のことを出された時は、すごく驚いたとともに納得させられました。

講義では通りすがりにふれた程度でしたが、この論点は然るべき人が掘り下げるべき価値のあるものかも、とも思っています。私が「トゥルーマンショー」を初めて観たときに真っ先に連想したのは、「ん〜、トゥルーマンって皇太子っぽい」ってことでした。

トゥルーマンの監督役の人が先生に似ているのが一番おもしろかったです。

クリストフ役を演じたエド・ハリスですね。ときどき言われます......

先生の授業を受けて、テレビ番組の見方が少し変わりました。『スチュワーデス物語』もレンタルビデオ屋で借り、見ました。

スチュワーデス物語』を紹介したときは、この80年代的な笑いの感覚が今でも通じるのか少し不安だったのですが、とりあえずウケてほっとしました。『ひょうきん族』の方が笑いは少なかったですね。私も改めて見て『ひょうきん族』の全編パロディぶりには少し驚きました。元ネタがわからないと、これは笑えないわな。