おのれのアホさ加減を恥じる

本田由紀さんの新刊『若者と仕事』の書評を昨日お引き受けしたのだが、

若者と仕事―「学校経由の就職」を超えて

若者と仕事―「学校経由の就職」を超えて


今の今まで、id:shinichiroinaba:20050406#p1とかで話題(火種?)となっていた、あの「本田」であることに気づいていなかった......orz
電話で「中央公論論文のあのホンダさん」とまでプロンプトしてもらってたのに。
かててくわえて、その論文すでに読んでて付箋まで貼ってあったのに。
なぜに頭のなかであの「本田」とこの「ホンダ」がすなおに結びつかないのか、おのれのアホさ加減を恥じる。つうか、これだけ自分の研究分野と関連の深い研究者をちゃんとチェックしていなかったおのれの不勉強を思い切り恥じる。


もう引き受けちゃったのでしょうがないが、しばらく書評は自粛しようかと。
勉強し直せ>オレ


ただ、中公論文ぱらぱら読みなおしてみると、統計の解釈とその記述は、少し気になるところも。


以下、メモ。


「…主成分分析という手法で高校生の能力や資質を構成する主な要素(主成分)を探ってみた。その結果取り出された要素の中で、もっとも有力な第一の要素は…」(p85)
というふうに解釈しているが、それにはちょっと留保がいるのではないかと思う。
取り出された主成分というのは、基本的には分析・記述・解釈のための便宜的・仮説的なものだろうから、そのまま一足飛びに実体的な成分・要素とみなすのはどうか。軸を回転させると(いわゆる因子分析)、共分散の説明力の総量(累積寄与率)は変わらずに、別の解釈の成り立つ因子が抽出されるしね。
まあ、このあたりはその成分(因子)を使うことが、その後の分析・記述・解釈にどれくらい役に立つかという有用性で、まずは評価するしかないわけだが*1


「この「対人能力」にどのような要因が影響を及ぼしているのかを、改めて重回帰分析という統計手法で分析したところ、…」(p86)とか、「高校生の「進路不安」にどのような要因が影響しているのかを、やはり重回帰分析を通して探ったところ、…」(p87)とかの記述も気になるといえば気になる。
統計に不案内な読者にとっては、この「要因が影響を及ぼして」というのは、因果関係のこととして受け取られるだろう。重回帰分析にせよ共分散構造分析にせよ、それだけでは(複雑な)相関関係を明らかにするにすぎない。つまり、AとB(やCやD...)に関連があるかないかがわかるだけで、A→Bという因果関係の向きをそれだけで特定できるわけではない。
学会誌だったら表現の修正を求められるだろうな。総合誌・一般誌であることを考えるとしても、たぶん私だったら、こういうふうに因果関係を臭わせる記述はなるべく禁欲すると思う*2


ただ、こういう問題点は、原則的に枝葉末節である。
調査屋であるほど、誰もが身にしみてわかってくるのは(わかってない人もけっこういるけど)、調査方法や分析・記述・解釈のアラを探そうと思えば、いくらでも探せるということだ、どんなに緻密な調査研究であっても。
ポイントは、議論の全体として、どれくらい解釈・説明の筋が通るかにある。
だから、こういうアラがある、ヌケがある、別の解釈も成り立つ、というだけでは十分な批判にはならない。
別様の解釈Bをもちだすなら、それが解釈Aより筋が通っているとか、解釈Aでは説明できないデータや現象も説明できるとか、「一歩前」に出ようとしないと。
「一歩横」に踏み出してみても、そりゃ単に横並びなだけですし(つうか実際には「一歩後」であることも多いし)。


雑誌論文てのは紙幅も限られているし、一般誌の場合は専門的なまどろっこしい議論・言い回しを避ける必要もある。
説明が足りん!ってとこが出てくるのは、ある種の宿命のようなもので。
この論文での分析結果が「因果」関係であるという議論をどこまで詰めることができるか。
調査屋として本田さんの本を読む楽しみのひとつはそこにあるのだが、まあ、そんな話を新聞の書評に書くわけにもいかんですし。
また、暇があったら、ここに書きます*3

*1: その点では成功していると思う

*2: でも、そういうふうに書くと、一般向けにはまどろっこしくて、頭にすっと入りにくくなるんだよね。授業でも学生によく言われるし(笑)

*3: しかし、おそらくそんな暇は当分ない(泣)