さらに追記


この話はやめると言っときながら、ますますカッコワルイのですが、もうちょい補足を。
昨日のエントリのコメント欄でid:zebra さんにご教示いただいたとおり、旧育英会独立行政法人化にともない、奨学金の返還免除(教職に何年か就いた場合の)は廃止の方向だそうです。
育英会の資金難もわかりますが、これも年金問題と同じく、場当たり行政のツケがまわってきた面もある。
くそったれ、と愚痴ってばかりいても詮ないので、極論ながら、院生救済のための前向きの提案を。


まず、今後の新規教員需要を試算する。
それに合わせて、研究者養成用の大学院枠(定員)を設定する。
それによって、博士まで出たのに研究教育職に就けないリスクをまず減らす。
専門職大学院は別。
学部教育では物足りなかったので、もうちょい勉強したい、でも特に研究者になる気・覚悟まではない、という人向けの大学院枠(修士課程までとする)も別。
生涯教育なんちゃらかんちゃら向けの大学院枠も別。
これら別枠は各大学が好きに設置すればよい(むろんマーケットの需要に合わせてですよ)。


研究者養成大学院枠の場合、修士までは何とか奨学金で手当てする。
月12万円支給×12か月×2年で、288万円。
現状通り、将来的に教職をン十年勤めれば返還免除とする。
仮に博士課程修了後、返還免除職に就けなかったとしても、これで借金は半減以下である。
支援機構(旧育英会)の負担もその分減る。


博士課程の3年間はTA制度の充実でカバーする。
博士課程学生には週4コマ程度のTAを義務づける。
代わりに、1コマ6万円程度×3=月額18万の給与を支給する。
これには、学部学生を教育できる力を養成する意味がある。
小中高の教職に就くには、教職用の授業をとり、教育実習があり、ひととおり教育力を身につける機会&義務があるのに対し、現状では、大学の教職の場合はこの機会&義務がない。
だから、教える力&意欲のない大学教員が少なからずいるのであり(ヂヂイどもだけじゃなく若い人でもそうよ)、意欲はあってもどう教えていいかわからない新任教員は、自ら試行錯誤で教えかたを一から作りあげていかないはめになる。
私はまさにそうだった(ゼミの1期生や2期生にはその点すまなく思っている、しかも、今なお試行錯誤中で学生に迷惑をかけとる)。


このTA先は、指導教官の授業などにしてはいけない。
所属先以外の他大学も含め、教えるのがうまい教員をピックアップし、そこに配備していく。
講義1コマ、ゼミ1コマ、実習科目1コマ、計3コマといった感じで割り当てればいいか。
言うまでもなく(授業のうまい)複数の教員の授業にTAに入ったほうがよい。
学期末試験の作成&採点は、TAが担当する(もちろん教員の指導のもとに)。
その代わり、試験担当手当として給与の1.5カ月分×年2回を支給する。
賞与の代わりにあたるものだ。
これで、18万円×15カ月分=年額270万円が3年間手当されることになる。
別途、研究教育費20万程度を支給し、社会保険も負担できれば、なおよい(というか、そうすべきだ)。
TAのしごとは3コマの時間内に終わるはずはなく、少なくともその倍の時間はとられるだろうが、その分、塾講や非常勤をせずにすむことを考えれば、決して悪くはあるまい。


TAで1コマ6万円という額は、非常勤1コマの相場と比べて、倍以上である。
払いすぎだという声もあるかもしれないが、それは違う。
1つは、非常勤1コマの相場が劣悪すぎること。
もう1つは、他業界は、これくらいのことはやっていることである。


このTA制度は、私は一般企業でいうOJTにあたるものと考える。
会社や仕事内容にももちろんよるだろうが、たとえば大学の職務内容に比較的近いだろう新聞社や広告代理店、シンクタンクなどの仕事の場合、入社して3年は実質的には戦力にならない。
私の勤務経験からいっても、そうだった(すいません、やっと戦力になりかけた時期に辞めちまって(笑))。
経営者側にとっては、支払う給料分もちだしである。
給料払って業界を担う人材、後継者を育ててるんである。
その他、諸手当、福利厚生、社会保険など、給与に含まれない相当金額も負担してですよ。
大学だけがなぜそれをやらないのか。
いまだに、研究者志望の院生・ODたちのモチベーション、モラールの高さをあてにし、そこに負担をおしつけ、ごまかし続けているからだ。


しかし、このTA制度の原資はどこからどう工面するのか。
そこが問題だ。
だから、われわれ専任教員も腹をくくらねばなるまい。
といっても、今の大学教員の過半数が腹をくくれるとはとうてい思えない。
大学主導で、この手のプランをやろうとすると、まちがいなく頓挫する。
文科省よ、各大学への補助金削って、こっちに充てろ。
無責任はやめれ。
おいらの給料が何万か減るのは、がまんする。
ちゃんとした人材・後継者が育っていけば、将来的にはおいらの仕事もこのままいくよりラクになるはずなのだ(つう以上に、おいらの仕事の場がなくならずにすむはずなのだ)。
そのための投資なんだから。


もう一つ。
大学人は、大学の社会的存在意義を、もっときちんと訴えていくべきだろう。
就活の時期を大学の授業期間中に設定するほど、大学の授業なんてのは役に立たんもんだとみくびられている。
そのくせ、面接で「卒論は何を書くの?」なんていけしゃーしゃーと訊きやがる。
授業を妨害しといて何を言う。
大学ブランド名による偏差値的な品質保証が欲しいだけなら、「センター試験の得点でこれこれ以上の人は、入社試験の受験資格を与えます、入社後は大卒と同じ待遇で扱います」、ってやりゃいいじゃねえか。
企業のお偉いさんがたには、あんたが今そこにそうしていることに、大学教育・大学生活の4年間はまったく何の役にも立ってないんですよね、と小一時間問いつめたい。
繰り返すが、社会(の過半数)が大学教育なぞ実のところ不要である、偏差値的品質保証以外に存在意義はない、と判断するなら、それはそれで大学は滅びてもしょうがない。
そういう大学教育しかしてこなかったわれわれのまさに「自己責任」というものだろう。
しかし、そうではないはずだとわれわれ大学人が考えるなら、大学の存在意義を建前論でなくもっと大声で叫んでいかなくてはならんだろう。


世界の中心で大学を叫ぶ。


オチがついたところで、ほんとにこの話はもうやめる。