東京新聞04/12/05社説

「政権党が使い勝手が悪いと考えているのなら、憲法が正しく機能しているのです。現行憲法に存在意義がある証拠です」
 憲法アメリカ法を研究している大学教授の発言に、聞き手の多くは分かったような分からないような表情でした。きょとんとした顔つきもありました。
 法律家ではありませんが、ある社会科学系研究者の集まりです。それでこうですから一般の国民にしてみればなおさらかもしれません。


 ここに今の憲法改正論議の大きな“勘違い”が浮かんでいます。
 憲法統治機構の権限とその配分を定める法典です。日本国憲法前文に「国政は国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者が行使し、その福利は国民が享受する」と明確に表明されています。
 近代国家の憲法は「権力はほっておけば肥大化し暴走する」という歴史的教訓から生まれました。「権力にできること」を限定し、「これから先はやってはいけない」限界を決めるのが役割です。教授はこの原理を裏返しに説明しただけなのです。
 さまざまな人権規定は、自由や権利の保障なしには統治機構が正常に機能しなかったり、統治側による侵害の恐れが強いという、幾多の経験に基づいて設けられました。
 憲法を守ることを期待されるのは公務員、権力者であり国民ではありません。日本国憲法第九九条もすべての公務員に憲法を尊重し擁護する義務を課しています。


その「きょとんとした」社会科学系研究者の集まりというのは、何で今さら改めてそんなことを言い出すの? と「きょとんとした」わけではないんだろうか。
「国民は憲法的命令で国家を操縦する。これが常識」と宮台さんは言うが、常識ではないつうことなのか。
そうなのか。