重松清はまっとうな人だと思う


朝日04年4月26日朝刊、フォーラム「うたおう 子どもの権利」より。

――96年の統計ですが、子育てに関する国際比較で、「子育ては楽しいですか」との質問に、楽しいと答えたのがアメリカは7割、韓国は5割、日本では2割しかいませんでした。日本では、子育てがとても苦しいと感じている親が多いのですが、そういう実感はりますか。
重松 虐待と育児ノイローゼは、表裏一体だと思っています。育児が楽しいかどうか。恐らく「仕事が楽しいですか」という質問でも、「勉強が楽しいですか」という質問でも、同じような結果になると思います。
2割ってそんなに心配すべき数字ではないと思います。大体、10日間親をやっていると、8日間ぐらいは嫌だなと思っていて、「親でよかった」と思う瞬間って2日ぐらいじゃないかな。だから、楽しいか楽しくないかで言っちゃえば、楽しくないかもしれない。
それでも、もっと大きな面で楽しかったという時代はあった。それは、僕たちの親の世代。白いご飯を腹いっぱい食べさせたい、高校、大学と学歴をつけてやりたいというふうに、自分たちができなかったことをわが子にやっているという幸せってあったと思う。
ところが、いま僕たちは、下の世代に託すことがあまりなくなってしまった。近代化が終わった後の社会には、宿命的に訪れると思うんですね。
そんな中で、何が幸せかわからないまま、大変な子育てをしている。楽しみが見つけづらくなっている。日々のおむつを替えたり、勉強を教えたりする先に何があるか、その見通しが揺らいでいることが、8割の人が育児を楽しくないと答えたことにつながっていると思います。
…(略)…
重松 少年犯罪などが起きた時に、よく家庭と学校と地域社会が一体になって、と言われますが、一体になってしまっては、まずいんじゃないですか。
お父さんが100人いてどうするんですか。一体じゃなくて、3方向から光を当てなければ死角は全然減らないわけです。地域社会のメリットというのは、「お父さん、お母さんの言っていることだけが正解じゃないよ」と教えてくれることだったし、「おまえのお父さん、あんなに威張っているけれども、がきの頃はこうだったんだよ」と、お父さんの権威を少し相対化してくれる場でもあった。
育児が楽しいかという問題でも、初めてやる育児なんだから、悩んで当然、大変で当然。育児は楽しいものなんだ、それなのに楽しめない自分って何なんだろう、と落ち込んでしまうことが一番よくないし、悪循環に陥ると僕は思います。
育児が楽しいというのが日本では2割しかなかった。いいじゃないですか。自分のほうが多数派だということですよ。日本人は多数派にいたほうが好きだからね。大丈夫。多数派にいるんだから、安心して愚痴をこぼしていいと思います。
ただし、その時には愚痴をこぼす抜け道がないとまずい。その抜け道をいかにつくっていくか、これが死角をいかになくしていくかにつながると思います。


だよね。
私もそう思う。
「冒頭発言」からもちょっと引いとこう。

僕は高度経済成長期に成長した世代です。僕たち以降の世代は、さまざまなものが肥大してしまった。その一つに快適さがあります。
…でも、親になって赤ん坊とつき合うと、夜中に泣くのをあやしたり、おむつを替えたりと、いや応なしに不快さを受け入れなきゃいけない。
肥大したもののもう一つが理想です。赤ちゃんが登場する雑誌や広告では、なぜかどの子もニコニコ笑っている。育児のいいとこどりというか、幸せがここにあるという理想が描かれている。
それを見た親たちは、赤ちゃんがいる暮らしはこうでなきゃいけないと思い込み、なぜうちの子は泣いてばかりいるんだ、といら立ってしまう。本当は赤ちゃんって、笑っている時間より、泣いている時間の方が長いのに。……。
あと一つ、僕たちは親になっても自分というものが肥大しっ放しだと感じる時があります。自分らしく生きたい、夢を実現したいという風潮が強くなった。自分や理想、快適差への欲求が肥大しすぎると、死角が生まれます。死角をなくすために、どんな光を当てていけばいいか。それが親の一人でもある僕からの問題提起です。