「がんばる」ということば

今年は経団連の申し合わせとかで、採用活動は4月以降におこなうべしということらしく、おかげで各社の面接や筆記が今月に集中しており、このところ、学生さんたちは例年にもまして疲れた顔をみせている人が多い。
その顔をみると、つい「がんばれよ」と言いたくなってしまうのだが、あまりこのことばは好きじゃない。
「がんばれ」と言われて、がんばれるものなら、もうとっくにがんばってるよね。
三者の「がんばれ」なんて、ホントこういう場合、気休めでしかないよね。
根がひねくれ者なのか、そんなふうに思ってしまうのだ。
まあ、そういうわけで、この時期は、ゼミ生それぞれのタイミングを見計らって、「ちょっとだけ休みをいれてみなはれ」「ぼちぼちいこか」と言うのが私のつとめかとも考えているのだが。


そんな今日この頃、読売新聞取材班の『乱れているか?テレビの言葉』(中公新書ラクレ、2004年)をぱらぱらめくっていたら、番外編に「頑張る」がでてきた。
広辞苑の編者として有名な新村出氏は、この言葉が一般化したのは大正時代、「日清、日露戦争をきっかけに広がった“流行語”」ではないか、と推測しているが、国立国語研究所の作成したコーパス(月刊誌「太陽」1895〜1928年をコーパス化)で、その裏づけが得られるという。

試しに「頑張(る)」を引いてみると、一九〇一年まで掲載例がない。ところが、一九〇九年には三件、大正時代の一七年には八件、二五年には一三件に増えて、「引け目を敵に見せてはいけぬ、出来る丈け頑張つて、可成(なるべく)強硬の態度を執り」(某将軍談)など、時局がらみの記事にも用いられていた。

(p.285)


そうかあ、戦時の流行語かあ。
ますます「がんばれ」と言いたくなくなってきたなあ。
「ぼちぼち」いきましょ、「ぼやぼや」することもないですけどね。