人質殺害事件にまつわる覚え書


殺害されたご本人について、今この時期にあまりあれこれ言いたくはない。
誰が読むかわからないこのネットという場では、何を言っても「死者に鞭打つ」(紋切り型な言いかただが)ことにしかならないのではないかと懼れる。
ご本人についてはまず、心からご冥福をお祈りしたい。


それでも書きとめておきたいのは、この一件に関するメディアやジャーナリズムの報道と、私たちの反応についてである。
これまでの報道によれば、イラクへ足を踏み入れたことが、明確な信念なり思想信条に基づいた行動とは考えにくいような人物像が生み出されている。
実際に、そうであったのかどうかは、少なくとも現時点ではわからない。
あくまで今のところメディアによって社会的に構築されつつある人物像、表象としては、である。
だから、前回の3人の人質の場合とは異なって、思想信条的な対立軸では、国家‐個人という構図を描きにくい。
対立すべき「個人」の思想信条がみあたらないからだ。
だから、たとえば新聞各社の社説をみても、小さな差はあれ、似たり寄ったりで、「テロには断固屈するべきでない、自衛隊は撤退させなくてよい、ただし、人質救出には全力を尽くすべきであるけれども、こうなってしまったことにはしかたのないところがある」という通り一遍の「正論」をなぞるだけになってしまっているように思う。
思想なりイデオロギーなりに結びつけるための繋留点がないのである。
ある意味で「自己責任」の枠内で容易に片づけてしまえるだけに、前回のような「自己責任論」も逆にあまり勢いをもたずに終わっているように思える。


イラクへと足を踏み入れた動機に関しては、確固たる思想信条というよりむしろ「この眼でイラク(の現状)を見てみたい」という心情によるものと表象されている。
心情といっても義憤とか熱血のようなものではなく、もっとゆるゆるとした情緒的なものとして。
繰り返すが、実際そうだったかどうかは、わからない。
あくまで、メディア上の、社会(世間)的なイメージ、表象としての話だ。
行動に思想信条的な文脈性がない。
ある種の「思いつき」のように見えてしまう。
そこに「今の若者」っぽさが感じられてしまう(実際、初期の報道に接したとき、私は似たタイプの卒業生や在学生を思い浮かべ、まさか彼それとも彼ではないだろうなと少しだけだが心配になった)。
ある種の「脱社会性」と言ってもいいのかもしれない。
「脱社会的存在」と言うと、「酒鬼薔薇」のようなおどろおどろしい存在を思い浮かべてしまうかもしれないが、そうではない。
行動の文脈がよくわからず、だから単なる「思いつき」のようにみえ、どう対処・反応していいのか途方に暮れ、頭を抱えるしかない。
そのような行動をとる存在のことだ。


人を殺す経験をしてみたかったってだけで、人を殺すのか???(頭を抱える)


ここに適宜「イラクに行く」を代入すれば、今回の行動にあてはまるだろう。
くどいようだが、この「行動」とは、メディア上、社会上でイメージ・表象された行動のことであり、固有名の冠される実際上の/現実的な行動のことではない(だから、ここでは固有名を出さずに書いている)。


しかし、だ。
これは、本当に「今(どき)の若者」に特徴的な行動なのだろうか?
私自身は、一面でそうかもしれないという考えをかなり強くもちつつも、他面ではやはり留保をつけておかなければならないと思っている。
むしろ、私たちの目にふれやすくなっただけの可能性はないだろうか?
以前から、このような行動をと(りう)る存在は潜在的には一定数いて、それが私たちの目にふれにくかっただけの可能性はないものだろうか?
たとえば、ベトナム戦争時にも、今と同じくらい海外渡航が容易であれば、このような問題が出てくる可能性はなかっただろうか?
たとえば、開高健というのは、こうした「思いつき」でベトナムへと出かけていった人物であったかもしれなくはないか?
吉本隆明が次のように書いているところなどを見ると(武田徹『戦争報道』ちくま新書、p.92-3より再引用)、そのような可能性はなくもないように思える。
その可能性は、開高氏が幸運にも生きて帰ることができ、それ以降の彼のキャリアによって覆い隠されてしまうのだが。

……吉本隆明もこう書いている(『展望』一九六五年一〇月号掲載。後に『自立の思想的拠点』徳間書店に収録)。
「開高の『ベトナム戦記』をよんでみると、わが国の進歩知識人(ママ)の思想的な〈国外逃亡〉がどんなものであり、どのような荒廃にさらされているか如実に知ることができる。なぜ、なんのためにこの作家はベトナムへ出かけていったのか。この著書を読みおわっても、なにもわからないのである」。
「この作家が、二十年にわたる〈平和〉な戦後の有難い〈民主主義〉とやらの現実のなかで、政治的なまた大衆的な国家権力とのたたかいのなかで敗れ、思想的に死んでいったひとびとや、〈平穏〉な日常生活のなかで、子を生み、育て、一言の思想的な音もあげずに死んでゆくひとびとを、〈銃殺〉された死者として〈見る〉ことができず、わざわざベトナム戦の現地に出かけて、ベトコン少年の銃殺死を見物しなければ、人間の死や平和と戦争の同在性の意味を確認できなかったとき、幻想を透視する作家ではなくただ目の前にみえるものしかみえない記者の眼しかもたない第三者にほかならないのだ」。


「脱社会的存在」が現在的な現象であり、100万人に上るだろうという社会学的言説は、そろそろ一度冷静に検証してみなくてはならないように思う。


もう一つ。
今回の事件で、英語と日本語でアピールを読みあげさせられている人質とその背後の犯人たちの動画像をみたとき、私が思い出したのは、1999年に流されたあるCM、より正確にはそれにふれた佐藤俊樹氏の文章である。

一九九九年のCMのなかでとくに印象的だったのは、「ベルリンの壁」が崩される現場で俳優の永瀬正敏カップ麺を食べている作品である。……。もちろん、永瀬がそれらの場にいたわけではない。合成である。不自然な動きや人物の重なりを感じさせない、とてもうまい合成であった。
だが、このCMの衝撃面は合成のうまさというより、もう少し先にあったように思う。……。
あのCMで本当に印象的だったのは、むしろ、永瀬が麺をすすり食べている、そののっぺりとした表情である。映像の構図は本来とても異様なはずだ。東西冷戦の終結を告げる「ベルリンの壁」崩壊――その現場で日本人が一人、たんたんとカップ麺を食べているのだから。……。あの気味悪いくらい起伏を殺した表情を通じて(たしかにうまい俳優である)、もはや映像の自然/不自然を感じなくなっている自分を私は感覚していたのだと思う。あえて画面の自然さに射影していえば、デジタル技術が発達して合成がもはや合成でなくなった、だから自然なのではない。八九年の「ベルリンの壁」崩壊のTVニュースでみたあの映像と、九九年のCMでみているカップ麺を食べている日本人というこの映像が簡単に等価に思える、だから自然なのである。
「ヴァーチャル」という標語で現在観念されているのはそのような現実感だろう。もともと「ヴァーチャル」という言葉は、本来ニセモノの対象がホンモノと同じように感覚できることをさしていた。このニセモノ‐ホンモノ間のちがう/同じという弁証法が、メディアを語りたがる人々や現代思想家たちに格好のネタを提供してくれたわけだが、八九年の映像と九九年の映像が厳密に等価になれば、ニセモノ/ホンモノというちがい自体が成立せず、それゆえ、ちがう/同じの弁証法もまた成立しなくなる。「ニセモノなのにこんなにホンモノっぽい」という驚きをもはや私たちはもちえない。ニセモノとホンモノの区別はもはや何も根拠=繋留点をもちえないのである。
しかし、本当に現代的だといえるのは、そうした映像の絶対的な等価性それ自体ではない。にもかかわらずニセモノ/ホンモノの区別を私たちがしているという事態のほうである。現在のヴァーチャルの世界に、物理的なニセモノは存在しない。八九年の「ベルリンの壁」崩壊のほうがニセモノなのかもしれないのだが、実際には私たちはカップ麺を食べている映像のほうがニセモノであることを疑いはしない。その落差が「ニセモノ/ホンモノの区別は社会的に決まるのだ」というメディアのイデオロギー装置論や、それを単純化した「情報の洪水のなかでホンモノを見分けましょう」というメディアリテラシー論をはぐくむ土壌にもなっているのだろうが、すぐそうとびつくのはいささか短絡的である。こういう議論はイデオロギーや国家利害や資本の利益という、社会的な繋留点を見つけているにすぎないからだ。この区別が物理的にせよ社会的にせよ繋留点をもはやもたず、にもかかわらず消え失せることもなく、まさに浮遊している――その事実にまず目をむけるべきだろう。

佐藤俊樹『00年代の格差ゲーム』中央公論新社、p.239-41)


今回の事件に関するメディアの各種の論説は、まさに「繋留点をもはやもたず」にいる事態に直面し、にもかかわらず「まさに浮遊している」状態にないか。
オウム事件ですら、私たちはそうした「浮遊」のなかで、なし崩し的に“消費”してしまった(ということを遠藤知巳氏がどこかで指摘していたはず)。
現在のジャーナリズムは、この「浮遊」ときちんと向き合い、そこから始めなおすしかないのではないか。
それはとてつもなく困難なことであり、私自身もそうしたジャーナリズムが具体的にどういう像を結ぶものであるのか、はっきりとわからないのではあるが。