つながっていないかもしれない不安を見られているかもしれない不安


前期に4回採った出席チェックをようよう終えました。
最後の回の出席シートに書かれた講義の感想からいくつか。

世界の中心で愛を叫びたいと思います。
前期の授業おもしろかったです。

小説とマンガはクリアしたんで、何とかこの夏に映画も観とこうかと。
あくまでネタとしてですが。
テレビドラマまでは毎週観る気がおこらない。

私も「セカイ系」が好きな人間のうちの1人です。
先生からしてどのような点がベタなのでしょうか?

既視感しかおぼえない点です。
ありがちな泣ける話だなーと。
東浩紀さんの『動物化するポストモダン』のデータベース消費の議論を読んでくださいな。


最後の授業では、メールとつながり志向の話をしたんで、以下はその関係のコメント。

私も、ケータイを持つようになって、色んな人とメールをやり取りするようになったが、送っても返事がなかなかこないことに不安を感じています。
何か変な文を送ってしまったのではないか、相手を怒らせてしまったのではないか・・・など。
それは、関係がこわれてしまうことへの不安なのではないか、と思いました。

私はここ2年程、携帯のない時代に存在したいと思います。
ない時代というか、みんな持ってなかったらいいのにと思います。
だけど一方で、「ノート貸して〜」なんていう頼み事をする時には重宝しています。
彼氏はメールが好きで(?)ひまになると送ってきて私は何時間もたってから返信します。
それにとても怒ります。
私は不安になります。
心が離れていくのではないかと。
だけど、親密になる人程、私はメールみたいな機能でつながっていたいとは思いません。
その反面、浅い友人とはメールがなければ困ります。


私なぞ、何時間どころか、何日もたってから返信しますが。
論外ってことか(笑)


以下は、孤独恐怖(「一人で夕食をたべるのは耐えられない」などの設問)の高い人ほど、メールを友人とやりとりする頻度が高い、という調査結果に対してのコメント。

私もやはり、食堂で一人で御飯は食べれません。

私も1人で食堂でごはんを食べるのに抵抗があります。
そしてまわりの異性の目ではなく同性の目が気になって仕方がありません。
少しずれますが、メールでも同性の友達からあまりメールがこないと不安になります。
一般的には異性の目を気にしつつ生活していると言われますが、それは全く逆であると言えると思います。

外(カフェ・飲食店)で1人でごはんを食べている時に知り合いに会っても何も感じないのに、大学の食堂で1人でいるときに知り合いに見られるのは、なぜか避けたいと思うのはなんででしょう・・・同じ1人なのに。
大学っていう「場所」になにかあるんでしょうか。

大学の食堂でひとりごはんはたべれません。
でも家なんかにいる時は一人ぐらしなので、それがあたり前だし、バイトの休けいの時もひとりで平気です。
やはり、大学では知っている人に会うかもしれないという不安があるからだと思います。

生協でひとりごはんの話ですが、あれはやはり、「ひとりでごはんを食べているところを見られるのがイヤなのです。
孤独恐怖は孤独恐怖でも、少し何か違うかな、と。
1人で教室でサンドイッチ食べることには、抵抗ないんですよね・・・。


ふ〜ん、そうなのか。
まあ、言われてみれば、あたりまえのような話ではあるのだが、「つながっていない(=見られていない)」ことが不安なのではなく、「つながっていないことを見られているかもしれない」ことが不安なわけね。
メタ認知レベルの不安というか。
パノプティコンを包囲する(内蔵する)パノプティコン、って感じか。
ちょいとおもしろそうだ。
アンケート調査してみよう(笑)