『正論』8月号


id:gyodaikt:20040701#p2 で北田さん自身もとりあげられている、西村幸祐「「2ちゃんねる」を目の敵にする朝日、岩波の焦燥」、たまたま私も今朝読みました。
その論文の本旨はさておくとして。

「嗤う日本のナショナリズム…『2ちゃんねる』にみるアイロニズムロマン主義」で北田暁大氏は一九八〇年代から始まった、大衆のメディアに対するシニシズムはメディアの実体と建前の際を察知したからだと言う。その分析は誤りではないし、「2ちゃんねる」内で「マスメディアは共同性を担保する第三項の位置からコミュニケーションの素材へと相対化されている」という認識も正しい。
ただ、北田氏が朝日新聞の無謬性を前提としているので、必然的に「ほとんど言いがかりに近い『反朝日』の風潮や、W杯時のフジテレビ『偏向』報道への抗議活動を見ても分かるように、2chにおける反マスコミ主義は、マスコミへのシニシズムという言葉で括るにはいささか過剰なものとなっている」という逃げの論理回路に入って行く。
批評に重要なのは言葉を弄ぶことでなく、事実をどう認識するかということだ。「ほとんど言いがかりに近い『反朝日』の風潮」と北田氏が書く瞬間に、彼は「2ちゃんねる」の朝日新聞を扱うスレッドで「荒らし」と呼ばれるネットストーカーや〈ネット工作員〉と同位相に堕してしまう。なぜなら、批評の根拠となる一次情報の検証を完全に放擲しているからだ。


ん〜、この「誤読」は、ある意味、おもしろい。


つうのは、
(1)「朝日新聞の無謬性」とか「根拠となる一次情報の検証」とか、“批評(ジャーナリズム)は真実・正義を伝えるべきもの”ということを前提に、北田論文を批判
(2)そうした前提がマスコミにおいて建前化していることを『2ちゃんねる』のアイロニズムは突いた、つうことを北田論文は指摘
(3)それが、建前でない“真実・正義”をベタに志向するロマン主義へと転化していった/しつつある、つうことを北田論文は指摘
(4)その北田論文を、アイロニズムを経ない初めからベタ化したロマン主義(?)に基づいて批判
この(4)=(1)なので、ふりだしに戻り、無限ループへ


「ベタ」は「メタ」の視点をこういうかたちで「誤読」し――むろん裏を返せば「メタ」もまた「ベタ」の視点を「誤読」するしかないわけだが――無限ループを形成するしかないのだろうな、とも思う。