木曜日は疲れる

1限、1回生の少人数クラス(ゼミのようなもの)。
5人1組になって、あたえられた課題(テーマ)で、調べものをして、雑誌記事風のレポートにまとめるというセッションを先週からしている。
今日は、ざっと集めてきた資料・データをもとに、編集企画会議。
おぼろげに方向性が見えてくる頃合いなので、それぞれのグループをまわって、横から話にツッコミを入れていく。
通り一遍のことでこじんまりまとまりかけているところに風穴をあけるツッコミが命の授業。
台本やマニュアルがあるわけでなく、アドリブでツッコミをかまさなくてはいけないので、独特の集中力がいる。
だから疲れる。


3限、通常は3回生のゼミだが、今日は市民講座で講演会。
ゼミのほうは、幹事さんにまかせて、各グループでこちらも企画会議(3回生ともなると授業1回くらいは手を離しても何とかなる)。
1限終わりから、パワーポイントのしあげをして、会場へ駆けつける。
例年通り、高齢のかたがたが多い。
しかし、私のお題は「ケータイ」であるところがツライ。
オーディエンスにあわせてネタを料理して何とか少しは興味をもってもらえたようで、やれやれ。


研究室にもどって、5限の講義の教材やネタを補充。
今日のお題は、文字文化(literacy)と知性・自己、といった感じのもの。
文字の文化→マクルーハン、オング、サンダース経由→近代的自己の成立につながったとかいう話もあるがどうよ→「自己責任」って近代的個人を前提にした概念であるはずなのに「世間」的論理で「自己責任」を問うってどうよ、てな感じでアドリブ的に話が脱線しつつ(させつつ)、最後に授業評価アンケートを配布・回収。
大人数講義なので、アドリブである種の「ノリ」を作っていかないと、こっち(講師)もあっち(受講生)もキツイ。
ライブみたいなもんですかね(音楽社会学のO川博司先生が「大講義はライブなんですよね、そのつもりで私はやってます」とおっしゃっておられた意味が最近になってよくわかるようになった)。


講義を終えて、研究室にもどり、ブログをいくつか巡回し、次の記事を知る。