正高信男氏のコラム2編


まず朝日3月24日付夕刊「正岡子規の観察眼」より。

人間を含め動物の行動を研究するものにとって、その原点は観察にある。
……。
最良のお手本は、おそらく正岡子規だろう。カリエスのためほぼ寝たきりで、目の前の20坪の庭を眺めて、彼は晩年の日々を送った。……。そのなかで、ヘチマの実につく一滴の露に、あるいはバラの芽の鉢に当たる雨の音の変化に、季節の移ろいをかぎ取るまでに感受性は研ぎすまされていった。そうして、およそ2500首の短歌を残したのである。
写生について子規は、現実をありのままに写すことだと簡潔に述べている。しかし、ありのままに写すといっても、何が面白い現象かは、こちらの主体とか主観とかいうものによって、見方はずいぶんと違ってくる。今のところ、私の研究は子規の2500分の1にも及ばない気がする。


認知科学』の巻頭言か何かにも同じこと書いていた気がするが、正高氏が子規の2500分の1なら、私は25000分の1ってところか。
社会調査も観察の一種だけど、観察、ってホント難しい...
次は、3月23日付夕刊「原野回帰する都心」より。

……。昼下がりの渋谷を歩く。平日でも、3、4人ずつかたまった10代の男女を中心に人通りは少なくない。そのなかには私が「出あるき」と呼んでいる行動をとるグループも目につく。「引きこもり」の反対である。
何日も自宅に帰らず、街を友人と「遊動」する。……。私見では、出あるき人間は気の合った者同士、なじみの地域に出没してもっぱら時を過ごす。ゲームセンターで別のグループと出会う。するとメンバーが入れ替わる。ケータイでのメールによるやり取りも交渉の主要な機会だ。
アフリカに生息する野生チンパンジーは、…いくつもの小グループに分かれて行動することが知られている。……。数日にわたって顔を合わせなかった個体が出会うと、「ホッホッホッ」と独特の鳴き交わしをする。ダーウィンは、この声が人間の笑いの起源と考えた。
そののち再び、異なるチンパンジー同士が組になって散っていくこともある。他のサルには見られない、こうした彼らの群れの特色を、研究者は離合集散と表現したが、それは余りに出あるき人間の日常と類似している。日本の都心は、人工物が充満したあげく、人類が誕生した原野に近い状況へ戻りつつあるようにも思える。


サル化(動物化?)という見方の観察は、確かにおもしろい。
でも、私はもうちょっとだけ違う観察のしかたをしたい。
とは思うのだが、観察、ってのはホント難しい...