武田徹さんとこの

04年4月14日付より。

ある大学から前に朝日に書いた記事を入試で使ったという連絡を頂いた。今までも連絡だけは何度か経験があるのだが、今回は問題文も同封されていた。これは初めて。で、眼を通して、入試に自分の作品が使われた書き手の多くがこぼすのと同じ感想を持った。解けない・・・・のだ。作者の気持ちは次のどれだったでしょうとか言われて、確かに明らかに違うのもあるけど、うーん、どっちかなと悩む選択肢も含まれている。
でも、それで悪問だとは言えないと思う。現代国語の主題傾向の中では主題と回答の関係づけや読解の仕方に明らかなルールがあり、受験生はそれを習得してきている。そのルールを熟知しているということでは、作者よりも受験生の方が正解に近いと言うことはありえるのだろう。作者が答えれず、受験者が答えられることは不思議ではないのだ。
と、頭ではわかっているが、やっぱりなんか変な気分。いい加減な書評よりきちんと読まれているとは思うけれど、きちんと答えを出す性格の読み方ゆえに、かえって作者にしてみれば曖昧にしていた部分まで読み込まれて違和感が残るのかもしれない。


現代国語の試験問題を解くってのは、やはりそうゆうことなのかあ。
やはりっつうのは、北田さんとこにこう書いてあったのと照らし合わせて、っつうことですが。
わたしにはどうも昔から今日に至るまで現国はだめぽ(w