「ゲーム脳」その後

CESA DEVELOPERS CONFERENCE 2005レポート」より
http://www.watch.impress.co.jp/game/docs/20050901/cedec_05.htm

 一通り「ゲーム脳の恐怖」に関するツッコミを終えた新氏は「CESA一般生活者調査報告書」からのデータを示し、ゲームをネガティブに捉える一般社会の認識が、2001年以降年々増加傾向にある事を説明する。

 データによると、ゲームをすることで「幼児の脳の発達が遅れる」と考える人の割合が2001年から2004年の間に4倍近く(3.5%→12.1%)となっている。この上昇傾向をよく見ると、「ゲーム脳の恐怖」が出版された2002年において一気に3倍近くに膨れていることがわかる。同理論がもたらした影響が極めて大きいことが推測される内容だ。また、2004年には「脳が痴呆状態に近くなる」と考える人が10.5%にのぼるとのデータも示された。これはまさに森氏の主張する理論そのままの調査テーマだ。

 筆者はこういう具体的な数字については知らなかったが、実際にデータを示されると「ゲーム脳」理論が一般社会に与えたインパクトが無視できないものであると認識せざるをえなかった。


いや、それは「ゲーム脳」理論のインパクトだけでなく、それを受け入れる土壌としてリスク不安の高まりがあったんではないかと思う。
ゲーム脳」は、そのリスク不安を結晶させる触媒の役割を果たした程度ではないか。
だから、それは「ケータイを持ったサル」化理論であってもよかったわけで。


ちなみに内閣府の「世界青年意識調査」によれば*1、「あなたは自国は何か誇れるものを持っていると思いますか」という複数回答の設問に対して、「治安のよさ」を選んだ者は、98年34.9%→03年28.9%と6ポイント低下している。
おもしろいのは、一方で、「あなたは、どのようなことが自国の社会で問題だと思いますか」という設問(複数回答)に対しては、「治安が乱れている」の回答率が18.2%→17.2%とあまり変わらないこと。
ワーディングがこの違いを生じたのじゃないかと思うのだ。
「治安が乱れる」というと、テロや騒乱状態など、対象のある危険(danger)とむしろ結びつきやすいのではないか。
実際、93年調査では「治安が乱れている」は8.0%だったのが、95年の地下鉄サリン事件を経て、97年には18.2%に増加しているし*2
「治安のよさ」は、いわゆる体感治安のようなリスク(risk)にも結びついてくるような気がする。
まあ、強引といえば強引な解釈ですが。
danger感とrisk感の変化をもう少し跡づけてみたいのだが、何かいい統計資料はないものか。
danger/riskの区別じたいが日常感覚のうえでは微妙なので、むずかしいのよねん。

*1:ニュートラ」サイトの適性・適職診断で批判しといて何だが、内閣府はこういうちゃんとしたお仕事もなさっているのである。なのになあ

*2:「治安のよさ」のほうは93年調査では選択肢に入れられていないのでわからない