id:Albini くん、きみのレポートもやっと読んだよ

おもしろかったよ。


レポートの論題は、

この半期の講義の本質的なポイントが理解できているかどうかを問うための論述問題(1問)と、それに対する模範解答を、3000字以上4500字以内で作成せよ。問題は講義全般の理解を問うものでも、ある特定のテーマの理解を問うものでもかまわないが、論述問題以外の形式(穴埋め問題など)は不可。レポートの形式は、A4用紙で、縦置き・横書きとする(ワープロがのぞましいが手書きでも可)。


これに対して、彼が設定した問題は、

現在の情報メディア社会におけるコミュニケーション変容の例を一つ挙げ、その変容を弁証法哲学の観点を用いて説明せよ。


模範解答のネタはMIDIで、「弁証法哲学の観点」らしきものは最後にちこっと出てくるくらいでしたが、読んでておもしろかったので、ほぼ最高点をつけときました。
「講義の本質的なポイント」も、講義と無関係なネタをとりあげておきながら、きちっと突けてましたしね。
ただ、

  • 結論部近くの「上で述べてきた状況が動物化であるならば、その間主体的な構造から〈私〉は、鏡像としての〈私〉すら認識できないはずである。だが、本質的な問題として日本という国に欧米的な哲学の言う〈人間〉は存在していたのだろうか(歴史意識が融解したのは本当に最近であるのだろうか)」という箇所が、それまでの議論の流れからすると、やや唐突&強引 →1点減点
  • 文字数オーバー →1点減点
  • 参考文献挙示なし →1点減点


結論部のワンパラグラフ、

一般的に動物化に見える現在の状況というのはベタをネタとして戯れる状況というメタ認識への契機を私たちが失っているということではないだろうか。それは決して人間精神の変化などではなく、人間の情報消費の構造変化なのである。情報社会における〈私〉の変容とは〈意味/無意味〉の意味性を〈信じるか/信じないか〉といった精神性に関わるものなどではなく、〈意味/無意味〉の無意味性をただただ〈戯れるか/戯れないか〉という消費の構造に関わる〈戯れの構造〉に関する問題なのではないだろうか。


には、◎をさしあげておきます。
卒論も楽しみにしとるよ。