大学制度(改革)雑考

大学教員の平均的な給与水準は、世間的な水準からいえば、そんなに悪くないといっていいのではないか、と思う。
「夏休みや春休みもあるじゃん」って声もあるだろうし、「自宅研修日」という名目で大学に出勤してこなくていい日もある。
ただ、そのとき、ほんとに研修(研究)しとかないと、研究者としては枯渇していくし、ひいては教育者としても枯渇していく。
もろに「休んじゃう」「遊んじゃう」人もいますけどね(笑)、そういうダメな人は別として。
私はバブル期の広告代理店勤めの経験があるが、そのときの月残業100時間超が常態よりはマシとしても*1、勤務時間/余暇時間の比としては、一般企業とさして状況として変わらんように思う。
むしろ、会社勤めとちがって、どれくらい仕事するか、時間をどう使うか、自己裁量にゆだねられる部分が大きいので、自分でモチベーションというかモラールというかを保ちつづけていかなきゃならないという点では、むしろ大変かもしれない。


でもって、まず給与水準の話。
これは世間の相場より高くて当然、と私は考える。
いや、大学教員はそれだけエライのだ、ということではなく、生涯賃金という面で考えてのことだ。
たいていの場合、大学教員になるには、大学院を経ることになる。
修士課程2年、博士課程3年ですめばいいが、今はオーバードクターあたりまえの時代である。
この間をきわめて少なく見積もって5年間としよう。
大学院に行かずに就職した人は、この5年間に給料をもらっているわけで、その平均年収を仮に400万と考えると×5年で2000万。
この分がまず大学教員のライフコース(生涯賃金)からは欠けることになる。
また大学院での授業料は、文系国公立で50万くらい×5年で250万。
この分はもちだしである。
研究のために本を買ったり、学会に入ったりで、必要経費が年50万(実際にはこんな額に収まらないはずだろうが)として×5年で250万。
この分ももちだし。
さらにオーバードクターあたりまえだとして、専任教員になるまで、あと500万くらいの潜在的もちだし分を想定しても、そんなにおかしくないはずだし、むしろ少なすぎるだろう。
これだけでも合計3000万が、専任教員になる以前に生涯賃金から欠けていることになる。


30歳で専任教員に就職できたとして(それでも順調すぎるくらいだろうが)、定年を60歳と考えよう。
むろん、現在の大学教員の平均的定年年齢は、もう少し上だろうが、この少子化・大学経営難の時代、経営的にまず考えられる対応は定年年齢の引き下げであり(実際、私のいる大学でも検討が始まりつつある)、この60歳定年はかなり現実的な想定だと私は思う。
ていうか、これでも甘い想定なくらいだ。
それでもって、この専任教員30年間で先行投資分3000万を補った生涯賃金を考えるなら、世間の相場より年収ベースで100万は高くないと割にあわんのだ。


「休みが多いのに文句言うな」って?
夏休み、冬休み、春休みはありますが、それが「休み」なのは、授業だけであって、その間も仕事はしているのです。
学生だったときの経験を、教員も同じようなもんだと考えるのはやめていただきたい。


「好きなことやって給料もらえるんだから文句言うな」って?
それは一般企業その他に勤めておられる方でも、基本的にいっしょでしょう。
「好きなこと」を仕事にできていない人は、それを仕事にするように努力なさればよろしい。
私たちは3000万もかけて、そうするよう努力してきたのだ。
決してラクして今の「好きなことやって給料もらえる」状態にたどりついたわけではない(少なくとも私はそう自負している)。


でもって、ここでもやはり一番問題になるのは、非常勤講師の方々の待遇だろう。
おそらく、非常勤講師制度はそもそもは大学教員数がきわめて少なかった時代の、大学間の互助的制度として始まったのではなかろうかと思う(まだちゃんと調べていないのだが)。
大学で教えられる人が少ない→他大学の教員の助けを借りねば授業が成り立たない→兼業(アルバイト)なので講師給は安くてよかろう、お互いさまの助け合いだし、って感じで始まったのではないか、と。
これが大学大衆化とともに、他大学の専任教員の助けを借りるだけでは足りなくなり、院生やオーバードクターをアルバイトとして活用しよう→バイトだから講師給は安いままでよかろう、もうじき専任教員になれる人たちだし、ってことになったのではないか、と。
これが、現在の状況(大学院生・オーバードクターの増加、大学経営難にともなう専任ポストの「狭き門」化)と齟齬をきたしているのは言うまでもない。
文部省(現・文科省)の無責任な大学院重点化施策がこの状況に拍車をかけたことも。


一方で、大学の経営環境が厳しくなったことは、安くまかなえる非常勤講師を最大限使って、専任教員枠を最低限に抑えようという方向へとはたらく。
ここに悪循環の回路がある。
教員組合を一年経験して、つくづく実感したことだが(経験しなくても言えることだが)、大学経営者側は、企業的な論理での運営への姿勢をどんどん強めつつある。
コスト‐パフォーマンス(利潤)最大化と個人・組織間の競争原理にもとづく発想だ。
何らかの「外圧」がない限り、だから、この悪循環を断ち、非常勤の方々の待遇改善につながる方向へむかうことは、期待できまい。
非常勤講師(オーバードクターおよびその予備軍)の待遇の劣悪さは、大学教員をめざすことの動機付けを奪い、最終的には大学全体の人材不足や教育・研究力の著しい低下をもたらすのは、まちがいない。
このままでは、少子化ともあいまって、大学が10〜20年後には壊滅的な状態に陥ることは、明白に思える。
実のところ、それなりに優秀な学生が大学院を受験したいと言ってきたとき、私はまず「修士課程を終えて一般企業に就職することを考えているならともかく、研究者の道をめざしているならよほど覚悟したほうがいい」と、ブレーキをかける方向でアドバイスすることにしている。
大学院を出て、研究実績も十分にあるのに、なかなか就職できず、塾講師や非常勤で糊口をしのいでいる優秀なオーバードクターを何人も知っているから。
優秀な若い人を無責任に大学院に送りこみ、前途を誤らせるようなことをするのは、今の状況をみる限り、私にはできない。


来るべき大学の壊滅状態を避けるためには、個人的には、非常勤講師(オーバードクター)の待遇改善のため、われわれ専任教員も給与の1割くらいは返上し、待遇改善の原資にあてるのもやむをえないのではないか、とも思う。
本来、これは大学および大学をとりまく環境の変化を看過し、無責任に大学院重点化をうちだした文科省の責務だろうとは思うが。
しかし、そんなことを大学専任教員の、たとえば教員組合で言い出したとしても、通らないどころかバッシングに遭うだろうことは、火を見るより明らかだ。
特に「逃げ切り」世代のご高齢のセンセー方は、自分に負担を強いられることになる改革案一般にテイコーなさるし(しかも、私のような若造よりずっと発言権は強いのよね)。
若い世代は10年後、20年後に、エライことになっているより、今のうちに多少身を切られても対策しておかねば、という危機意識があるのだが(もちろん、ない人もいますけどね)、保身世代には自分たちにとって損だとしか考えられないわけで。
どうしたらいいものか。


たいした案はないのだが、一つ思うのは、給与を削り、その分を個人の研究・教育費にふりかえ、非常勤講師(専任をもたない非常勤専業の方々)にも割り当ててはどうか、ということだ。
それなりにきちんと研究している人であれば、そこそこの個人研究費などでは足りるはずもなく、たいていは自腹を切っている状況にあるだろう。
だから、給与/研究費の総額が変わらなければ、その配分が多少変わったところで、実際上は問題はないはず(むしろ経費あつかいされる研究費が多いほうが税金の面でお得なところもあるだろう)。
で、研究・教育実績の評価をきちんとおこない、専任・非常勤にかかわらず、それに応じて、個人研究・教育費を配分する。
さぼっている人は少なく、がんばってる人は多く。
年齢も加味して(もちろん科研費などの外部資金がとりにくく、実績をあげる必要の高い若い人ほど多く)傾斜配分する。
がんばって成果をあげた人は給与や賞与の査定で優遇し、さぼった人は冷遇する、というのは企業ではあたりまえの話だろう。
おそろしいことに、大学はそうではないのだ。
この点に限っては、私は企業的な競争原理の導入をある程度は支持したい。


むろん、大学は、企業とはちがって営利目的第一でうごいているわけではないから、「成果」の査定が難しいのは百も承知だ。
教育成果の査定といっても、テストの点数があがればいいという話ではなかろうし、就職率が高まればいいという話でもあるまい。
大学の教育などというものは、「即効薬」ではなく(ある先生の名言を借りれば)、いつ効くか、効いたか効かなかったのかもよくわからない「漢方薬」のようなものだろうし、むしろ「漢方薬」であるべきだ、と私は思う。
しかし、査定が難しいから、査定はすべきでない、ということには必ずしもならない。
難しい査定をあえておこなうことによる弊害よりも、査定をしないことによる弊害のほうが、現状では大きいように思う。


研究・教育実績によって、研究・教育費に差がつくことは、給与に差がつくこと以上に自然なことではないか。
給与面では、学内行政やら事務雑務やらの負担(および実績)によって、差をつければよろしい。
そこの部分の負担をしなくてよい非常勤教員には、その面でのケアは必要あるまい。
しかし、専任教員と同等に、あるいはそれ以上に、教育(そして研究)を非常勤講師の方々に負担していただいていることを考えるなら、その点については、専任教員と同等の、あるいはそれ以上のケアがあってしかるべきはずだろう。


てなことを考えるわけだが、いったい、これをどこに・だれに向けて言えばいいのだろう。
教員組合などで言ったとしても、抵抗勢力の猛反発にあって、逆効果になりそうな気もするし。
なんせ自分たちの給料や研究費の一部返上を主張することにつながるわけだから(私だって給料が下がるのは決してうれしいことではない)。
ほそぼそと、ぼそぼそと、話のわかりそうな人にちょっとずつ話していくしかないのかもしれない。


むー、気晴らしのつもりが、書いててますますブルーになっちまった...

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*1:つうても、それくらい残業してる気もするが、そもそも「残業」つう概念・制度が大学教員にはないに等しいので、よくわからない。一度、自分で月どれくらい働いてるか、勤務表つけてみよっと。しかし、こういうふうにはてな書いてる時間はそこに含めていいのだろーか。やっぱダメすかね(笑)