仕事というやつはなぜ減らぬ

今日は朝10時半から夜9時まで会議づけ(途中2時間ほど空き時間はあったが)。
そいでもって会議の結果として、やらなきゃならなくなった仕事が怒濤のごとく増加。
会議というやつは、仕事の決着がつく場という以上に、仕事が細胞分裂おこして増殖する場であるようで。
疲れる、ほんとに疲れる。


いや、研究とか教育とかに関わる仕事はいいんですよ。
でも、事務・雑務が増えると、ほんと疲労感が倍加してしまう。
もちろん、それも給料のうちだから、やらにゃならんのは重々承知なんですけどね。
ただ、時間はどうやったって1日24時間以上には増えんので、そっちの仕事が増えると、より本務であるはずの教育・研究に割ける時間がどうやったって食われてしまう。
オレの時間を返せえええ、と、つい思ってしまうわけで。
でもって、とほほ感が倍加して疲れてしまうわけで。


まあ、安い講師給で非常勤をしていただいている先生方からすれば、贅沢で甘えた文句たれ以外の何ものでもないとは思うのですが。


非常勤講師の身分の劣悪さということでは、今朝の朝日の社説でもとりあげられてましたが、昨日の日経の朝刊でも星野智幸さんという作家がそれについてコラムを書いてました。
あるとき、ある大学から非常勤講師を頼まれたのだそうですが、「ショックを受けたのは給与明細を見たとき。九十分の授業を毎週二コマ、出校手当あるものが加算されて、月六万円に満たない。」
で、いったんは作家業の専念に戻ったが、しばらくして「その大学からまた声がかかった。今度は期限付きの客員教員」だったそうで。
「コマ数は倍になり、事務作業も増えるが、給与を聞くと、非常勤のときのなんと十倍。正規の教授、助教授は、さすがに学務は激務であるが、さらに高収入である。」
ええ、確かにそれなりに「高収入」かもしれませんが、一方で確かに「激務」でもありますです。
手を抜きまくる人もいますけど(笑)
それはともかく、最後の結びの一文につい深くうなづいちまいました。
「私のように、下積み非常勤の労苦をろくにへずに大学教授になる作家が増えているが、さぞや恨まれているんだろうな。」


その通りっす(笑)
いや、作家さんに限らず、私のいるようなマスコミ研究の分野でも、放送局とか新聞社とかマスコミ業界からの転職組はけっこういます(定年退職後になる人も多い)。
それ自体はいいんです、現場での経験の蓄積を活かした教育(大学一筋に生きてきた人ではできない教育)をしていただければ、その値打ちはあろうかと。
もっとも、授業は自慢話や苦労話やエピソードばかりっつう転職組教授もいますけど(笑)
ただ、自分がそのポストを得ているために、若い大学院生やオーバードクターが専任教員に就く機会を狭めている、ということは、せめて少なくとも自覚しておいてほしい。
そんなことを自覚している転職教授組は、ひょっとしたら皆無ではないかとも思えるので。
多かれ少なかれ、私も含む専任教員のポストに就いている者すべてに、はね返ってくることではありますけども。



そんなこんなで仕事が増殖したおかげで、昨日の「2ちゃん分析」の話の続きは、書く時間がなくなっちまいました。
しばらく時間がなくなり続けそうな悪寒も。
更新はまたけっこう間が空くかも。
オレの時間を返してくれえええ(笑)