卒論の外注はやめたまえ

ひさしぶりにモヒカン族(死語)的に絡んでみる。

茉奈 佳奈が大学の卒業論文のテーマを大募集!
現在大学3回生の茉奈 佳奈が、来年度に取り組む卒業論文のテーマを募集します。
http://livetalk.yahoo.co.jp/performer/228/


一般にはネタとして笑ってすませられる話だろう(し、プロダクション側もそれを狙ってのことだろう)が、大学教員という職にある者としては、笑ってばかりもいられない。
論文というのはテーマ設定が生命線である。
特に、卒論の場合、テーマ設定によって良し悪しの大半が決まると言ってもいい。
研究対象にありふれた視線しか注げない場合=ありふれた問いしか投げかけられない場合、それはつまらない論文になる。
ごくありふれた対象を研究する場合であっても、一般にはそこに何ら投げかけるべき問いを見出されない場合であっても、投げかけるべき問いを見出せたなら、見出しうる視点に立てたなら、それはおもしろい論文になる。
「レポート」ならば、これまでにわかっていること(先行研究)をまとめて、妥当な「答え」を見出すことに傾注すればよい。
しかし、「論文」は「問い」こそを見出すことが重要であって、ある意味では「答え」などどうでもいい。
むろん、論文なるもの、卒論なるものの意義については、他の考え方もいろいろあるだろうが、私自身は、問いを見出す能力を身につけることに、(専門学校ならぬ)大学の存在意義があると思う。


寄せられてきたテーマをそのままそっくり卒論テーマとするのではないかもしれない。
寄せられてきた幾多のテーマから、一つを選び出すことに、本人の能力・センスが問われる部分もあろう。
しかし、程度はどうであれ、(少なくとも私の卒業「論文」なるものの考え方からすれば)これは本質的に卒論の「外注」である。
仮にこれが私のゼミ生であれば、ネットのコピペ、盗作によるレポートに準じた成績評価をくだすだろう。
大学で何を学んだのか、何を学びたかったのか、小一時間問いつめたい。


ただし、今回の募集の過程や反響そのものを研究対象にして、応募されてきたテーマなどを分析して、卒論にしようということであるのなら、それだけで「優」をあげてもいいけどね(笑)