卒業

おとといは卒業式だった。
いつもながらおセンチな気分になってしまうのであるが、今年は自分もいっしょに勤め先を「卒業」することもあってか、ひときわ感慨が深い。
関西大学へ赴任し、ゼミをもつようになってから6期生を送り出すことになった。
1期生、2期生のときはゼミをどう運営すればよいか、よくわかっていなかった。
なので、自分の学部生、院生時代と同じように、各自の自由発表をメインにしていた。
これは教員にとってはラクなのだが(そして、それはそれでよい面もあるのだが)、正直言って今という時代の大学教育としては失敗だったように思う(ごめんね、1期生2期生諸君)。
以来、ゼミのカリキュラムに関しては毎年、試行錯誤を繰り返してきた。
今年送り出した6期生のゼミにしても、もっとこうすれば、ああすれば、と思う点はもちろん多く残る。
が、自分の伝えるべき・伝えたいことは、それなりに伝えられた気がする。
ウィトゲンシュタインのことばを借りて言えば、それは


Lebe glücklich !
ハッピーに生きよ!


ということだ。
別にそれはカリキュラムを充実させれば教えられるというようなものではない。
そもそも「教え」られるようなことではない。
伝わらないやつにはどうやったって伝わらない。
でも、いろんなかたちでことばを尽くすなかで、伝わるやつに伝えることはできる(かもしれない)。
それが、不十分であれ少しばかりはできたような満足感がやっと少しある。
すべては学生に恵まれたということだ。

Ich bin entweder glücklich oder unglücklich, das ist alles. Man kann sagen: gut oder böse gibt es nicht.
私という存在は、ハッピーかアンハッピーか、どちらかなのであって、それがすべてだ。良いか悪いかなんて存在しないと言える。


Wer glücklich ist, der darf keine Furcht haben. Auch nicht vor dem Tode.
ハッピーな者は、恐れをもつことなどない。死を前にしたとしても。


Nur wer nicht in der Zeit, sondern in der Gegenwart lebt, ist glücklich.
時の流れを、ではなく、現在を生きる者こそがハッピーなのだ。


 * * *


Der Mensch kann sich nicht ohne weiteres glücklich machen.
人間は、即そのままハッピーになるということはできない。


Wer in der Gegenwart lebt, lebt ohne Furcht und Hoffnung.
現在を生きる者は、恐れも望みもなく生きる。


 * * *


Man scheint nicht mehr sagen zu können als: Lebe glücklich!
ハッピーに生きよ! それ以上のことは言いえないように思える。


Die Welt des Glücklichen ist eine andere als die des Unglücklichen.
ハッピーなひとの世界は、アンハッピーなひとの世界とは、別の世界だ。


Die Welt des Glücklichen ist eine glücklich Welt.
ハッピーなひとの世界は、ハッピーな世界なのだ。


Wittgenstein "Tagebücher 1914-1916"


6期生へ。
そして卒業を迎えたすべての人たちへ。
卒業おめでとう。