父親との会話とアイデンティティ

2002年におこなった首都圏16〜7歳調査をちょっと再分析してみた。
その結果の一部をノート。
友人・母親・父親との対面会話時間を多(1)/少(0)の2値化して、性別のダミー変数=男(1)/女(2)とともに独立変数とし、アイデンティティにかかわる6設問項目(肯定回答を1/否定回答を0)を従属変数として、ロジスティック回帰分析にかけた結果が、次の表(数値は標準化後の係数)


会話時間 性別 判別
的中率
友人 母親 父親
1)自分らしさの感覚 -.16 -.09 +.15 -.01 84.1%
2)自分らしさ一貫主 -.09 -.14 +.36 -.18 59.8%
3)自己像の不明確感 +.07 -.10 -.10 +.24 55.0%
4)「仮の自分」感覚 +.21 +.09 -.15 +.13 56.7%
5)多元的自己感覚 +.33 -.11 -.13 +.44 73.9%
6)本当/偽の自分 -.09 -.01 -.12 +.31 57.3%
赤字 p<.01, 緑字 p<.05 の有意性)


5)多元的自己感覚(「本当の自分は一つとはかぎらないと思う」)が高くなる関連要因は、友人との会話時間が多いこと、男性より女性であることだ。
また、女性であるほうが、6)「話す相手によって本当の自分と偽の自分を使い分け」ることが多くなる。
1)「私には自分らしさがある」、4)「どこかに今の自分とは違う本当の自分があると思う」は、モデルとして有意でないので無視。
3)「自分がどんな人間か、はっきりわからない」も、定数が有意なだけで、独立変数は有意にきいていないので、これも無視。
2)「どんな場面でも自分らしさをつらぬくことを大切にしている」ことに有意に関連しているのは、父親との会話時間が多いことだ。
他の設問項目との係数値の+−をみても、概して、父親との会話時間が多いことが、アイデンティティのゆらぎの少なさにつながっているようすがうかがえる。


一般的に(あるいは精神分析でも)、「父」は、自他未分化な「母」との融合的一体感から「子」を切り離し、自立(アイデンティティの確立)をうながすような存在として位置づけられる。
この分析結果は、その一般論と合致するものととりあえずいえる。
もちろん、これを、お父さんのいないシングルマザーの家庭の子どもは自立・独立しにくいことと等置することはできない。
ここでの「父」(や「母」)というのは、関係や自己の発達におけるある種の機能・記号にあてられた名称にすぎず(むろん、「父」「母」という名辞でそれらを名指すことの問題性はある)、実際のお母さんが「父」の役割をはたしえないということではない。
この結果が示しているのは、現実に今の日本社会のなかで、全体的にみると、父母ともにいる家庭では、実際の父親が「父」的な役割をはたしている形跡があるということにすぎず、個々のシングルマザー(あるいはシングルファーザー)の家庭については何も言う・言えるものではないし、理念的な面で「父」「母」にそのような役割を配分することの妥当性についても何の根拠を与えるものでもない。
私が問題にしたいのは、あくまで今の日本社会の現実において、父母ともにいる家庭で、父親が子どもと話をしないほど、アイデンティティがゆらぎがちである、特に自己の一貫性にとぼしくなる可能性が認められる、ということだ。
それはどういうことなのか。


この問題を考えるうえで、示唆に富むのは、正高信男さんの一連の研究だ。
正高さんは『いじめを許す心理』(岩波書店、1998年)のなかで、調査にもとづき、いじめのあるクラスでは、ないクラスに比べて、いじめに加担する層が多いわけではなく、いじめを見ても見ぬふりをする(というより解決しようとも加担しようとも何の対処もしない)傍観者層が多いことを明らかにしている。
こういう冷めた(何かをする気力に乏しい)傍観者層が、いじめを容認し、放置する雰囲気を醸成するというわけだ。
さらにまた、この体温の低い傍観者層の親の職業を分析すると、父親には会社勤めのサラリーマンが多く、母親には専業主婦が多いという。
つまり、高度経済成長以降に主流化・全国化した性別役割分業が、いじめ問題につながる傍観者層の子どもを作り出した可能性があるということだ。


『父親力』(中公新書、2002年)では、中学2年生の家庭を対象とした調査をもとに、子どもと父親とのコミュニケーションの程度と、攻撃性(いわゆるキレやすさ)・不安(社会的なつきあいからの引っ込み思案 withdrawal の程度)・社交性などとの関連についても、分析がおこなわれている。
それによると、父親とのコミュニケーションが少ない子どもほど、攻撃性や不安度が高く、社交性が低い、という関連が確認されている。
また、教育社会学者の深谷昌志さんのおこなった全国の小学5年生を対象とした調査でも、「会話の量が多いほど子どもは父がどういう仕事に就いていて、どういう日常を送っているかについて、より詳しい知識を持ち、そのうえで好意的に評価し、自分自身も将来は父のようになってもよいと、同一視する傾向が高いことが判明した」という(同書、p.113より)。


ポイントとなるのは、この「父親との同一視」という点ではないかと思う。
父親との同一視が自立心や対人関係スキルをうながし、母親との同一視が阻害する、というのではない。
むしろ父と母という複数の他者が「重要な他者」として位置づけられることで、特定の他者・関係への依存から離れやすくなり、脱状況・脱関係的なアイデンティティの確立や対人関係スキルの発達がうながされやすくなるのではないか、ということだ。
父親との会話頻度と自己の一貫主義(非状況依存性)との関連を示した私の調査結果も、このことを意味するのではないだろうか。
繰り返すが、シングルマザー(シングルファーザー)の家庭では、特定の他者への依存から離脱しにくいだろうと言いたいわけではない。
1人の人物(母親なり父親なり)が子どもの発達過程で複数の「重要な他者」の役割をはたすことはありえようし、また、保育士や子育てをヘルプしてくれる人(祖父母など)がもうひとりの「重要な他者」の役割をはたすこともむしろ多いかもしれない。


父親が会社勤めで家にあまりいない、母親が専業主婦でずっと家にいる、という状況では、子どもが母親への依存度を高めるのは自然に思えるかもしれない。
しかし、むしろその状況下では、母親が子どもへの依存度を高めてしまう(その結果として子どもが母親への依存度を高めるようになる)面も大きいように思える。
直接関係のない記事だが、『女性自身』3月2日号からひとつ引いておこう(p.176)。

では、どうしてお母さんはオッパイをあげているときにテレビをつけるのだろう。
東京大学大学院教育学研究科の汐見稔幸教授は、こう分析する。
「現代の母親は、たいてい妊娠するまでOLとして働いていた経験がありますね。OL時代は同僚や上司から業績を評価されたり、緊張感のある仕事をしていましたが、子育てとなるとそういう評価を受けなくなる。
朝から晩まで子どもの世話係では、どうしていいかわからなくなってしまうんです。…(略)…」
たしかに子育てママの1日は、昼寝もできないhど忙しい。核家族化が進んだ現代では、愚痴を聞いてくれる姑や友達も近所にいない。そんなときは「夫の助けがかならず必要」だと、汐見先生は言う。




(3/10付記:引きたかったのはこっちの記事でした、勘違いしました)

「何でお父さんは仕事にいかんと?」と、小学一年の長女は友だちの父親と比べ、不思議がっていた。
熊本県の地方公務員、三池和彦さん(39)は、二女が二歳を迎えたのを機に、昨年四月から育児休業を取った。……。
……育休生活は、朝五時半に始まる。朝食を準備し、七時過ぎには共働きの妻と二人の子どもを送り出す。……。
献立表を作り、家計簿もつける。身にしみたのは、「家事、育児は評価されにくいこと」。妻の励ましのひと言がうれしいのだが、寂しい思いをすることも。頑張って夕食の準備をしたのに、疲れて帰宅した妻は黙って食事。そのまま寝てしまった。「ちょっと褒めてよ」と思ってしまう。

日経新聞04年3月3日夕刊)


専業主婦(主夫)は評価を受ける(他者から肯定される)機会が少ない。
だから、子どもに向かうのだ、という話は妻からも聞いたことがある。
妻は今のところ専業主婦で、子どもを介した幼稚園ママの関係に悩まされることも多い。
(スマンです、気苦労かけます、私も話はなるべく聞くようにしてるつもりですけども)
私の子どもの通っている幼稚園は、他の幼稚園に比べてもかなり専業主婦率が高い(パートしているお母さんですら少ない)。
まあ、何というか、ある意味で教育熱心というか、子どもへの入れ込みぐあいがすごいというか、生活や意識の中心がガンガンに子どもにあって(お父さんと子どもの服の「値段の高そう」さを比べてみたりしても)、ちょっと、たじろぐことがある。
(もちろん、すべてのお母さんがたがそうだというわけじゃありませんが)
なんでかねー、という話を妻としたときのこと。


「あのね、専業主婦っていうのは、自分がほめられたり認められたりすることが少ないのよ。
きれいに家を片づけても、料理がんばって作っても、だんなは全然気づかなかったりさ。
(スイマセン、口に出すようにはしてるつもりなんですが、反省)
だから、子どもがほめられることを追求すんのよ。
子どもがほめられると、自分が認められた気になんのよ。
だから、子どもに入れ込むのよ。」


なるほどー。
こんな単純なことをわかっていなかった私がバカなのだが、これを聞いて腑に落ちた。
自己肯定・自己承認の欲求が子どもに転置され、それで母子一体的な密着が生まれるわけか。
自戒しつつ、出産・育児後の女性のしごと(でなくてもいいが)への復帰をうながす社会的制度・施策の整備の必要性をあらためて感じた次第。
ロンドンでは子育てが一段落したら、しごとに戻るのは当然だったもんなあ(と、妻はよくうらやましがる、「あんた、子どもも大きくなったし、日本戻ったらしごとに復帰するんでしょ、何のしごとしてたの?」としょっちゅう訊かれてたし)。
SMAPの「世界に一つだけの花」がミリオンセラーになった背後にも、子育てに閉じこめられたお母さんがたの支持があったのかもしれない。
「ナンバー1にならなくてもいい もともと特別なオンリー1」って、もろ自己肯定のための歌詞だし。