『ケータイを持ったサル』か?
2月末〆切の原稿をようやく脱稿。遅筆すぎ。やれやれどうやったら早く書けるようになるのか(はてなならすぐ書けるのだが)。
そのなかで『ケータイを持ったサル』批判をしてみた。わたしは言語・コミュニケーション研究者としての正高信男氏のしごとは、基本的にきわめて高く評価しているのだが、この本ははっきり言ってよくない。紹介されている個々の研究自体はおもしろいし、実験にしても「ゲーム脳」よりはよほどマシな手続きでおこなわれている(だから、この本を単純に「ゲーム脳」と同レベルのトンデモ本あつかいするのは、ちょっと見識が低いんではないかとも思う)。
しかしだな、その実験の解釈や議論の組み立てかたは、やはりトンデモと言わざるをえないところがある*1。いかに優れた自然科学者であっても、生半可に社会評論に手を出してしまうと、こんなことになってしまうんかいなと愕然としてしまう。お願いだから、正高さんには、こっち方面からはとっとと手を引いて(どうせ片手間しごとなんだし)、着実に本業を進めてほしいと切に思う。優秀な人が道を誤っちゃいけない。
以下、その批判箇所の抜粋。
しかし,この正高の実験結果をもとに,「ケータイの利用が(私的なつながりのコミュニケーションを肥大させ)公共性への志向を低下させる」と結論づけるには,問題点がいくつかある。以下では,とりわけ大きな2つの問題をとりあげ,筆者のたずさわった調査の分析データを用いながら,もう少し慎重に検討をくわえてみることにしたい。
1つめは,被験者に選ばれた対象の特殊性の問題である。正高は,ケータイをもっていない女子高生と,メル友が300人以上の女子高生を被験者にしているが,いずれもこの年代の若者のケータイ利用実態からすれば,極端といえる層である。たとえば,筆者の参加する研究グループが2001年におこなった全国調査によれば,15〜18歳(対象サンプル119人)のうち,ケータイの非利用者は22%にすぎず,プライベート関係のメールアドレス登録数が300人以上の者にいたっては0%であった(200人以上でみても1.6%)。
両極端のグループを比較すること自体が不適切なわけではないが,その場合に留意しなくてはならないのは,これら2グループ間には,その特殊性ゆえに,ケータイの利用面に差があるだけでなく,それ以外のさまざまな社会属性や生活様式,心理・行動傾向などに大きな差がある可能性が高いことだ。実際にはそうしたケータイ利用以外の差が,実験相手を信頼して投資するかどうかの差をうんでいた場合でも,実験結果の見かけのうえではケータイ利用の差がそれをうんでいるようにみえる。社会統計学ではよく知られた擬似相関の問題である。
そこで,先に紹介した2001年の全国調査のデータをもとに,より一般的なサンプルを用いて,この点を再検証してみよう。正高のおこなったような社会的ジレンマ状況での行動選択については,社会心理学的な実験・調査研究の蓄積があり,見知らぬ他者一般への信頼――「一般的信頼(general trust)」という――の度あいと関連することがわかっている(山岸 1998,1999)。この一般的信頼を測る尺度についても,因子分析的研究などによってすでに評価の定まった設問群が用意されており,筆者らの調査では「ほとんどの人は基本的に善良で親切である」「私は人を信頼するほうである」「ほとんどの人は他人を信頼している」という3問を採用し,それぞれ“そう思う”を3点〜“まったくそう思わない”を0点として単純加算した尺度を構成した。
正高の実験結果の示す傾向がより一般的にもあてはまるものであれば,ケータイ利用が活発であるほど,この一般的信頼尺度のスコアは低くなる,という負の相関関係がみられるはずだ。そこで,調査データから15〜29歳の若者422人を取りだし,まず,ケータイの利用者と非利用者でスコアを比較してみた。その結果は,利用者の平均値4.9点に対して,非利用者は4.6点であり,とりたてて差はみられなかった(むしろ利用者のほうが信頼尺度スコアが高いくらいだが,t検定では有意水準に達していない)。
次に,ケータイ利用者を対象に,1週間のメール発信数/プライベートでメールをよくやりとりする相手の数/プライベート関係のメールアドレス登録数と,一般的信頼尺度スコアとの相関を分析した結果が,表3である(数値はスピアマンの順位相関係数ρ)。
図3 ケータイのメール利用と一般的信頼との相関 発信数 やりとり相手数 アドレス登録数 単純相関 +.04 +.10 +.12 * 偏相関 +.06 +.13 * +.15 ** ※橋元ほか(2002)調査の再分析結果より
(** p<.01, * p<.05 の有意性)ここからわかるように,単純相関係数(上段)も,年齢と性別で制御した偏相関係数(下段)も,すべて正(プラス)の値を示しており,また,やりとり相手数との偏相関およびアドレス登録数との単純・偏相関は有意な水準に達している。つまり,ケータイ利用が活発な者ほど,一般的信頼はむしろ高いくらいだということであり,やはり正高の実験結果は,被験者の特殊性によるもので,一般的な妥当性を欠く可能性が高いといえるだろう。
さて,正高の実験結果の解釈における2つめの問題点は,仮にその実験結果が一般的に妥当するものであったとしても,「ケータイ利用が公的志向性(他者への一般的信頼)を低下させる」のか,それとも「もともと公的志向性の低い者がケータイをよく利用するようになる」のかはわからない,つまり因果関係の向きが特定できないことだ。
もちろん,同じ批判は先におこなった調査データの再分析結果を解釈する際にもあてはまるが,この調査では同じ回答者を対象に2年後に追跡調査をおこなっているので,因果関係の向きについてもある程度は検証することができる。つまり,2001年にケータイ利用が活発な者ほど,2年後に公的志向性が低くなっているとすれば,(過去にさかのぼる因果関係は考えられないので)「ケータイ利用が公的志向性を低下させる」といえるわけだ。
……(中略)……
やりとりする相手の数やアドレス登録数など,他のケータイ利用指標については2003年調査に設問が欠けているため,くわえて別の角度からも分析してみることにしよう。この分析では,2003年の一般的信頼スコアから2001年のスコアを単純減算し,2年間における信頼の変動度を測る尺度とする。「ケータイ利用が公的志向性(一般的信頼)を低下させる」のであれば,2001年にケータイ利用が活発であった者ほど,この信頼変動尺度のスコアが低い=信頼が低下しているはずだ。
まず,2001年時点でのケータイ利用者(195人)/非利用者(36人)で,信頼変動スコアの平均値を求めると,-0.37点/+0.47点であり,t検定でp<.05の有意差が認められた。これは,ケータイ利用が一般的信頼を低下させることを示唆する結果である。
ただし,ケータイ利用者における個々の利用指標について分析してみると,結果は異なってくる。たとえば,(2001年の)メール発信数と信頼変動尺度との順位相関係数ρは+.20であり(p<.01の有意性),これは,メール利用が一般的信頼をむしろ高めることを示唆するものだ。また,メールをやりとりする相手の数とはρ=+.02,アドレス登録数とはρ=±.00と,いずれも有意な相関は認められなかった。
以上の分析結果をまとめると,「ケータイ利用が公的志向性(より厳密にいえば,そのひとつである一般的信頼)を低下させる」という因果関係は――いくらか留保をつける必要はあるものの――おおよそのところ認めにくいといえるだろう。
詳しくは、たぶん5〜6月ごろに出版されるNHK放送文化研究所の『放送メディア研究』3号(丸善)をお読みくださいませ。